ここで誤解しないでほしい。目を伏せること自体が悪いわけではない。
日本人を対象にした謝罪の実験(ロールプレイ)では、人によっては、心から謝っているときのほうがかえって視線をそらしやすいという結果も出ている(※2)。申し訳なさで相手の目を見られなくなるのは、自然な反応でもある。
問題は、伏せた視線の先に「原稿」があることだ。見る側には、目を伏せている理由が「申し訳なさ」ではなく「読み上げ」に見えてしまう。すると謝罪は、相手に向けたものではなく、「間違えずに言い切ること」に向けたものに映る。同じ下向きの視線でも、その向き先しだいで、受け取られ方は正反対になる。
「言われてから謝る」というタイミングのズレ
向き先のズレは、視線だけではない。謝るタイミングにも表れていた。
2日の閣議後会見で、一連の報道をめぐる質問が相次ぐ中、簗氏は「コメントは控えたいというふうに思います」と答えている。同じ日の夜には改めて会見を開き、「表現ぶりが一部誤解を招くものであったこと」は「私の本意ではない」と釈明している。撤回と謝罪に転じたのは、その3日後だ。
9日の自民党の会合でも、同じ構図が繰り返された。報道によると、簗氏は冒頭のあいさつでは騒動に触れずに締めくくり、出席していた鈴木宗男氏から指摘を受けて初めて、謝罪したという。


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