その後、8日の本会議、9日の自民党の会合、そして13日の衆院予算委員会と、場所を変えては頭を下げた。予算委員会では「不適切だった」と陳謝しつつ、減額の働きかけは改めて否定。14日午前の予算委員会では進退を問われ、「全力で職責を全うしたい」と答えている。
それでも、批判は収まらなかった。5日の謝罪について、週刊女性PRIMEは「用意された『発言案』棒読み会見」と報じた。翌6日の閣議後会見では、農林水産省の会見記録によると、記者からこんな言葉が飛んでいた。
「紙を読み上げるようなところではないですよ、この発言自身は」
この炎上ぶりに「謝り方が足りないからだ」「そもそも辞めないのが問題だ」と思うかもしれない。しかし、言葉だけを並べてみると、謝罪に必要な要素はひと通りそろっているように見える。「撤回」「お詫び」「極めて不適切」「不徳の致すところ」「深く反省」。足りないのは、言葉ではないのだ。
謝罪は「耳」ではなく、「目」で採点される
不祥事の謝罪は、どれも似たような言葉になる。それでも、許される人と許されない人がはっきり分かれる。筆者は「見た目の科学」の視点から、その差を、言葉の中身ではなく「様式」の差だと考えている。
表情、視線、間の取り方、謝るタイミング。こうした見た目の要素が、事の重さや相手への向き合い方と一致して見えるかどうか。筆者は、これを「様式不整合仮説」と名づけた。
あくまで筆者の仮説で、直接確かめた研究はまだないが、これに近い現象を示した研究はある。
企業の不祥事で代表者が謝罪した場面を分析した研究では、謝罪の最中に場にそぐわない表情(例えば笑顔)が出た企業では株価が下がり、その影響は最長3カ月続いた(※1)。実験でも、そうした表情は「不誠実」のサインとして受け取られ、組織への信頼を下げていた。


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