京都に移り住み、人材派遣業のアルバイトを始めて、やがて現場の派遣チーフとして学生をまとめる仕事をするようになりました。
「やがて派遣の会社に勤め仕事にのめり込むようになりました。まったく違う社会だったので、新鮮で最初のほうは仕事が楽しかったです」
しかし23歳になる頃、再び受験を意識し始めます。
「高卒だと給料が安いんです。あと肉体労働は20代だからいいけど、ずっとは無理だと思いました。今、自分には武器が何もないので、いろいろできることを模索したんですが、結局、昔やっていた受験なら戻りやすいかなと思って再度受験を決断しました」
最初の浪人生活と違って、自分の意志で受験勉強を始めたため、モチベーションが違いました。この年は受験しなかったものの、仕事終わりの夕方に少しずつ、夏から秋にかけて一気に成績を伸ばし、判定はE判定から急上昇しはじめます。
マクドナルドで勉強し慶應合格
年齢でいうと6浪目の年、仕事と勉強を並行し、受験料を自分で貯めて計画的に動きます。苦手な日本史に関しては、代ゼミの関西校で夜だけ単科コースを受講しながら補いました。
この年は慶應文学部と早稲田文学部を受験しましたが、不合格。しかし慶應の不合格開示を見て、合格まで残りが20点差だったと知ります。
「可能性としてはあるなと思いました。できなかったのは日本史だけでしたので、詰め込めばいけます。それで次の年へのスイッチが入っていきました。7浪目の年くらいが一つの区切りだと思っていたので、この年に合格しなければ資格試験を受けて、資格で生きようと考えていました」
こうして自ら最後の年だと決めて迎えた勝負の年。
この年は夏ごろから仕事量を少しずつ絞り、マクドナルドにこもって深夜の24時頃まで勉強し、朝起きて出社する生活を繰り返しました。
大森さんは当時の様子を、「ホームレスの人と仲良くなるくらい入り浸りました(笑)」と語ります。
代ゼミの慶應大プレではB寄りのC判定が続き、「手応えはあった」と語る大森さん。この年は慶應文学部と同志社大学を複数日程受験しましたが、同志社はまさかの全滅。しかし、無事本命であった慶應文学部に合格し、浪人生活に終止符を打ちました。
「安心した、というのが一番です。全てが清算された思いと、新しい生活に行けるという期待と安心が一緒に来ましたね」
波乱万丈の浪人生活を終えた大森さん。浪人時代を経てよかったことを聞くと「自分を客観的に見て、管理する力を学んだこと」「勉強に充てることで精神的にもレベルアップしていく楽しさを知れたこと」、頑張れた理由について聞くと「必死だったから」と答えてくれました。
「最初の浪人は目的がなかったからだらけてしまいました。でも後半の浪人は自分でやると決めることができました。自らの意志でやっていたから、必死になれたのだと思います」


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