一方で、現代社会はあらゆる脅威を予見し排除しようとする「リスク社会」であり、個人の生命やコンプライアンスが最優先される時代になっている。この双方のギャップを著しく増幅させているのが、近年のSNSによる「可視化」である。ネット以前、だんじり祭りがはらむ過激さや事故のリスクは、地域共同体という閉じた文脈と独自の価値観の中で了解され、消化されていた。
しかし、SNSを介して痛ましい事故や過激な瞬間が切り取られると、その映像は地域固有の共通前提から切断され、「安全圏にいる不特定多数の視聴者」の日常的な倫理観のもとで評価されることになる。リスクを絶対悪とする外野(部外者)にとって、命の危険を許容する構造は「非合理的な狂気」と映り、強いバッシングを引き起こす動機となる。
リスクを去勢された祝祭は「安全な観光イベント」へと変質
ここに、現代社会が直面する大きな矛盾が存在する。仮に、外部からのコンプライアンス要請に従い、リスクを完全に排除した「絶対に誰も傷つかないだんじり祭り」を作り上げたとき、それは集団を覚醒させ、日常の閉塞感を突き破る祝祭としての効用を保てるのか、という問いである。リスクを去勢された祝祭は、往々にして単なる「安全な観光イベント」へと変質する道筋をたどりやすい。
これは実は、だんじり祭りだけではなく、世界中の祭りで散見される問題でもある。スペイン文化やスペインのアイデンティティ、闘牛に関する研究で知られる文化人類学者のキャリー・B・ダグラスは、「牛追い祭り」の別名を持つサン・フェルミン祭などを取り上げ、「危険な祭りを管理しようとする中央政府」と「ローカルな民衆エネルギー」の衝突という構図を浮き彫りにした(Bulls, Bullfighting, and Spanish Identities/Univ of Arizona Pr)。
スペインがEUに加盟し、「近代的なヨーロッパの一員」になろうとする過程で、国家や都市の指導者層は、牛追い祭りや闘牛を「遅れた、野蛮な伝統」として恥じる傾向が強まった。そのため、行政や警察は、祭りの暴走や危険性を規制し、秩序ある「クリーンな観光資源」へと管理・抑圧しようとする圧力をかけ続けることになった。


※ログイン後、コメント入力が可能です。