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ライフ #不安な時代、不機嫌な人々

「下敷きになって即死」「現場は血まみれに」…2名が死亡《大阪・だんじり祭り》が人命軽視と批判されても"続く理由"

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岸和田だんじり
「だんじり祭り」で「たかり」を務めていた50代の男性などが亡くなった(写真:nijimi/PIXTA)
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特に「たかり役」のようなポジションは象徴的で、「共同体の中心にあるシンボル(だんじり)に、自らの身体を直接預ける」行為そのものが、儀礼的な自己犠牲や共同性の確認になっている。死者が出ても「伝統だから」「神事だから」で継続される構造も、近代的なリスク管理の発想とは異質な、前近代的な価値序列が今に生きている証拠と言っていい。

伝統的な祝祭の本質は、カオスの中へと身を投じること

かつて文化人類学者のヴィクター・ターナーが提唱した「リミナリティ(境界状態)」が示す通り、伝統的な祝祭の本質は、日常の規範や安全な秩序から一時的に脱出し、カオスの中へと身を投じることにある。また、社会学者のロジェ・カイヨワが以下に明快に論じているように、祝祭とは過酷な身体性や時に死のリスクすらも消費することで、平坦な日常を突破し「生」を再起動させる装置でもあった。

「祭り、長い幕間にたくわえられた富の浪費、法規と化した脱法規、仮面の力の伝染により逆転せられた全規範――それらによって眩量の共有は集団生活の紐帯、そのクライマックスとなる。それは社会の究極の基礎である。もっとも、社会はそれでもなお不安定なものである。もし、こうした周期的爆発がなければ維持困難な、うっとうしく、あまり価値のない脆いつながり、それが社会というものだ。そのつながりをこのクライマックスは強化し、ふだんはほとんど全く個人的な心配事や家事やに気をとられている諸個人を、この周期的爆発が接近させ、結集させ、精神の交流をさせるのである」(『遊びと人間 増補改訂版』多田道太郎、塚崎幹夫訳、講談社文庫)。

現代社会では、「死の危険性」が日常から徹底的に排除・管理されている。そうした環境において、数トンの木塊と一体になり、死と隣り合わせの緊張感の中で街を駆け抜ける行為は、参加者に対して極限状態における圧倒的な「生のリアリティ」と、他者との強固な連帯感をもたらす。「危険であるからこそ熱狂が生まれ、生の実感が立ち現れる」という根源的な心理メカニズムが、そこには働いている。

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