「2園だと、意見が分かれたときに『どちらを取るんですか』と迫られがちだったんです。でも3園になって『三者で話そう』と言えるようになった。そこで組織的に共創していくような、いいバランスが芽生え始めました」
経営を安定させるために描いた3園構想は、組織の対話の形まで変えていた。各園が「まちの保育園ってなんだろう」と考え、話し合う。その共通のよりどころとして、マンダラが使われるようになっていった。
一保育園から始まった実践を、社会へ
松本さんは「まちの保育園・こども園」で培ってきた考え方や仕組みを、自分たちの園だけにとどめようとは考えていない。
こども家庭庁では、CCのように園と地域をつなぐ人材を支援する制度が始まった。専任のCCだけでなく、園長やフリーの保育者、自治体職員などがその役割を担うケースも増えている。CCについて学ぶ講座には100人ほどが集まり、東京大学との共同研究や、博報堂のUoC(UNIVERSITY of CREATIVITY)と協働した社会発信も進めている。
2011年に小竹向原の一保育園から始まった取り組みは、少しずつ園の外へと広がってきた。
「子どもが創造的で、民主的な市民として街に参加して、そのことによって街も豊かになっていく。そんな状況を全国のみなさんと一緒に耕していきたいと思っています。僕たちのやり方をそのまま広げるというより、一緒につくっていきたいんです」
そのための新たな活動のひとつが「まちのこども財団」だ。「公の共創」という考え方のもと、経済界などからの寄付も受けながら、子どもを取り巻く環境づくりに取り組んでいる。さらに「まちの保育園・こども園」の続きの学校づくりも、次の構想として動き始めている。
「地域によって実情も魅力もそれぞれ違います。その地域の可能性や魅力を生かしながら、子どもたちが生き生きと育ち、地域も同時に持続可能になっていくための一主体でありたいと思ってます」
だが、なぜ松本さんは、ここまでして「子どもが街のなかで育つ環境」をつくろうとするのか。
その原点をたどると、学生時代に児童養護施設で出会ったひとりの少女と、自身が育った多摩ニュータウンの風景へと行き着く。(後編へつづく)


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