「ユーモアは、必ずしも笑いと結びつくものではありません。自己防衛の要素もある。真正面からぶつからず、別の方法でうまくごまかす。上手にごまかす道は、人生経験を積まないと、なかなか見えてこない」
たとえば、死刑囚が刑場へ運ばれるときに「今日はいい日和だな」と言う。日本語でいう「引かれ者の小唄」も、見方を変えれば、過酷な現実にのみ込まれないための自己主張なのだという。
「『俺はこんなことには、やられない』と、あえて示す。ユーモアにはそういう面があり、生きていくうえで役立つときがある。逃げであったり自己主張であったりもするけれど、かけがえのない価値を持つときもある。なかなかのくせ者ですよ」
そして、そんなユーモアを持つには、「いつも真正面からだけものを見ない、少しへそ曲がりなところがないとだめかもしれません」と、阿刀田さんは言う。
知的へそ曲がりの、すすめ
91歳になった今も、阿刀田さんの言葉には、そんな「へそ曲がり」ゆえのユーモアが顔を出す。深刻な現実を、ほんの少しずらして眺める。記憶が衰えていくことも、「海馬が勝手に捨てている」「この頃、少しやりすぎじゃない?」と海馬との問答にしてしまう。
そんなふうに物事を少し違う角度から眺める力を支えてきたのが、阿刀田さんの旺盛な好奇心なのかもしれない。
「知的好奇心は強い方でした。少し気になると、一生懸命調べる。それを何かにしようというのではなく、とにかく調べたい。それだけです」


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