「アイデアを作品にし、40枚、50枚の小説にするのは、そう簡単ではありません。30代を少し過ぎたころから70代くらいまで50年、小説を書いていた時代は、まさに“常在戦場(じょうざいせんじょう)”。どんなときでも、どこかにアイデアがないかと考えることが、身についた生活でした。
体力がなくなってきたことは、自分でもわかっています。70代までは無理をしてでも何とかしようと思っていました。80代になると、その無理がきつくなり、90歳になったら、もうやめた。率直に言えば、そういう生き方です。
それに、一番元気で書いていたころと比べて遜色のないものでなければ、発表したくありません。『自分の元気を保つために作品を書こう』とは思わない。発表する以上は、自分が満足でき、『かつて書いたものと遜色のないものが書ける』と思ったときでなければ出すつもりはありません。これから静かに年を取って、この部屋で、いなくなるのでしょう」
書けるか、書けないかではない。自分が納得できるものを書けるかどうか。その線引きに対しての厳しさが、その口調から感じられた。
酒場で飲んでいても“常在戦場”
「新聞も、政治の記事の隣に野球の記事がある、というように並列的に見ていました。銀座や新橋の酒場に通い、いろいろな人の雑多な話を聞く。その中から、役立つことが出てくるんです。
たとえばこんなことがありました。新橋の小さな酒場に、聞き上手な女性がいた。客がその日にあったことを話すと、いつも上手に耳を傾ける。私が『人の話を聞くばかりでは疲れるでしょう』と尋ねると、店が終わって家に帰り、夫にその日の出来事を話すから、大丈夫なのだと言っていました」
ところが後になって、その夫はすでに亡くなっていたことを知った。女性は毎晩、夫の位牌に向かって、その日にあったことを話していたのだ。
「その顛末だけでも一編の小説になりました。酒場で飲んでいても、どこかでいつもそういうことを考えていた。それが私の常在戦場だったのです」
情報を貪欲に取り込み、町場ではさまざまな職種、階層の人の話に耳を傾ける。ひとつひとつは雑多な情報でも、ひとたび阿刀田さんの頭の中に蓄えられると、思いがけないところで結びつく。その化学反応から、阿刀田さんの短篇の非凡なアイデアは生まれていたのだろう。
もうひとつ、阿刀田作品に欠かせないのがユーモアだ。阿刀田さんにとって、それは単に人を笑わせることではない。


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