ところが、先日その買い物の途中で思わぬことが起きた。取材の約1カ月前(2026年の8月11日)、街へ出た際に道路で転倒したのだ。
「かなり出血して、店の人が驚いて救急車を呼んでくれました。それ以来、自分で買い物には行っていません。最近ようやく近所の歯医者に、自分で歩いて行って帰ってきましたけれどね。明日か明後日あたり、転んで救急車で運ばれて以来、初めて買い物に行ってみようかと考えています」
そう話す阿刀田さんの口調は淡々としていた。これまで当たり前にできていたことが、ある日を境に難しくなる。それは恐ろしいことだろうと、想像する。
しかし阿刀田さんはその事実を受け止めたうえで、もう一度できるかどうかを試そうとする。その姿は、自分自身に起きている変化に戸惑いながらも、それを作家の目で観察しているようだった。
「死んだら無」それでも人は物語に救われる
妻の慶子さんについての思いを尋ねると、阿刀田さんは意外なほどきっぱりと「無」という言葉を口にした。
「これは非常に難しい問題で、簡単に答えられることではありません。私は本(『90歳、男のひとり暮らし』)にも書いたように、死んだら無であるという考えがあります。家内はもう無なんです。しかしだからこそ、生きている私が適当に、一番よいように考えれば、それで済むことだと思っています。
神や宗教は、どの民族、どの時代にも必ずありました。人間が考え出した偉大なフィクションだと思います。ただ、それによって人間が救われる部分もたくさんある。信仰がいのちである人も大勢いるので、『無である』ことを強調したくはありません」
キリスト教には死者の復活と永遠のいのちへの信仰があり、仏教には輪廻という考え方がある。人間は古くから、死によってすべてが途切れるのではなく、その先へと続く物語を紡いできた。
阿刀田さんにとって、宗教を「偉大なフィクション」と呼ぶことは、決して唐突な発想ではない。『旧約聖書を知っていますか』『新約聖書を知っていますか』などの著書で、聖書に描かれた物語を独自の視点で読み解いてきた。信仰が人間にとってどんな意味を持ってきたのかを、作家として長く見つめてきた人でもある。


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