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ライフ #だから、ひとり暮らし

「死は無である」と言い切る直木賞作家・阿刀田高(91歳)が我が子に問うこと—約60年連れ添った妻を見送り、ひとり暮らし

8分で読める
直木賞作家・阿刀田高さん
直木賞作家・阿刀田高さん。91歳のひとり暮らしを訪ねた(撮影:谷川真紀子 )
  • 蜂谷 智子 ライター・編集者 編集プロダクションAsuamu主宰
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だからこそ、「死んだら無である」と言い切る一方で、人間が生み出してきた「フィクション」が、人を救うことも否定しない。

そして「家内はもう無です」と言い切った阿刀田さんにも、自分では答えを出せない問いがあった。

『90歳、男のひとり暮らし』(新潮選書)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

「お母さんは幸福だったのかな」

慶子さんが亡くなって1年ほどたったころ、阿刀田さんは3人の子どもたちと食事をした。その席で、こんなことを尋ねたという。

「『お母さんは幸福だったのかな』と聞きました。すると3人とも、『幸福だったんじゃないの』と言ってくれた。私自身の物差しでは、家内が幸福だったかどうかを、的確には判断できません。いろいろありましたし、小説家の妻は、なかなかきつい立場でもありますから」

30歳で結婚してから、およそ60年。それほど長い時間をともに過ごしても、妻の人生が幸福だったかどうかを、夫である自分には判断できないのだという。長く連れ添った相手とはいえ、相手のすべてがわかるわけではない。

妻・慶子さんとの旅行先で買ったエッグスタンド。今も朝食の食卓で使っている(撮影:谷川真紀子)

その「わからなさ」について考えていると、取材の終盤に阿刀田さんが語った、男女の違いについての話が思い出された。

「子どもという存在についての向き合い方も、男性と女性では違います。男性にとって『この子は自分の子だ』というのは、頭で認識したこと。生殖行為があり、こうして育って、『これはあなたの子です』と言われて頭で納得する。しかし女性にとっては、自分の体から出てきた存在です。男性が子どもを『自分の子』と捉えることとは決定的に違う。

あまり言われませんが、当たり前でありながら大きなことかもしれません。私は3人の子どもがいますが、『自分の子だ』というのはすべて知識として知ったことです」

男と女では、子どもという存在の捉え方さえ違う――。そんなふたりが夫婦になり、長い時間をともに生きた。とはいえ最後まで、ふたりの間には「わからなさ」が横たわっている。

夫婦としての時間を終えたあと、阿刀田さんの中には「お母さんは幸福だったのかな」という問いが残った。そして、その問いに3人の子どもたちは「幸福だったんじゃないの」と答えた。

「一番家内のそばにいた子どもたちの目から見てそうならよかったと、少し安心しました」

そう話す阿刀田さんの目は、虚空を見つめていた。それは答えのない問いに、自分なりの物語を組み立てているようにも見えた。

(後編へ続きます)

リビングの食器棚は妻・慶子さんが整えたもの。夫婦と3人の子ども、家族5人分の食器が今も並ぶ(撮影:谷川真紀子)
阿刀田さんの著作『旧約聖書を知っていますか』『新約聖書を知っていますか』など、「知っていますか」シリーズの装画を手がけた和田誠の絵画が飾られていた(撮影:谷川真紀子)
【後編はこちらから】70代は無理して何とか、80代はその無理がきつくなり、90歳で「もうやめた」——91歳・阿刀田高「知的へそ曲がり」のすすめ

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