17以上の大学で教壇に立つ
前回は、「本業が作家で、副業で大学講師」と語る松本清張賞作家・額賀澪氏を取り上げた。大正大学と日本大学芸術学部で教えながら、専任教員を目指さず、大学を本業の作家活動にも生かしていた。
今回登場するのは、2025年10月に『ビジネス経験を活かしきる「40代から大学教授」という最高の働き方』(青春出版社)を出版した人物。岩手大学地域協創教育センター特任教授、青山学院大学で非常勤講師の平尾清氏である。これまで17以上の大学で教壇に立ってきている。
ただ実際、最初から大学教員を目指していたわけではない。
1990年、日本IBMにSEとして入社した。社内公募でマーケティング部門へ移り、広告やデータ分析などを経験。その後、マッキャン・ワールドグループを経て、2007年に日本GEへ。戦略企画・マーケティングのディレクターを務めた後、ヘッドハンティングでベンチャーのボードメンバーへ。
順風満帆に見えたキャリアは、リーマンショックで暗転する。平尾氏はリストラされ、失業を経験した。
「いざリストラされたら格好悪いもので、社長に『リストラしないでください』とすがりました。給料が半分になってもいいから、クビにしないでくれと。当時は本当に悔しく、情けない気持ちでした」
社長は一瞬、その申し出を受け入れかけた。だが「給料半分で働くと言ったやつに限って、ふてくされる」と思い直したという。結局、会社を去ることになった。
失業中は厚生労働省の教育訓練給付金を活用してキャリアコンサルタントの養成講座に通い、自らのキャリアを見つめ直した。09年にコンサルティング事務所を設立し、翌年、43歳で山形大学の教授に着任する。担当したのは、志願者の獲得から入学後の学生支援、卒業後までをデータで捉え、大学経営に生かす「エンロールメント・マネジメント」。外資系で磨いたマーケティングとデータ分析の腕が、思わぬ形で大学に求められたのだ。
その後、東北公益文科大学教授などを経て、現在の活動へとつながっていく。
取材で筆者がとりわけ印象に残ったのが、出版の経緯だ。平尾氏がもともと書きたかったのは、まったく別のテーマだった。
母親が高齢者を狙った悪質商法の被害に遭い、3年間で1000万円以上のサプリメントを購入させられた。マーケターとして販売側の手法を調べ上げ、民事裁判を起こして勝訴。その経験を基に被害防止の本を企画したが、ビジネス書の専門家から「市場価値が弱く、売れないのでは」と指摘され、企画は通らなかった。それでも平尾氏は書籍化をいまだに諦めていない。「被害者を少なくするためにも、こうした本があったほうがいい」と話す。高齢化が進むなか、社会的意義の大きいテーマだけに、筆者もぜひ世に出てほしいと思う。
代わりに提案されたのが、「大学の先生になる方法」だった。
「正直いうとちょっと恥ずかしかったんですよ、そういう本を書くのが。でも不思議なもので、書いているうちに、だんだん本気になってきました」
ところが、書き進めるうちに1つの矛盾に気づく。当時は東北公益文科大学を離れ、コンサルタントや政策参与として活動しており、大学の専任教員ではなかったのだ。
「大学の先生になるための本を書いているのに、今の自分が教授ではないのはおかしい。過去の本になっちゃうと思ったんです」
この記事は有料会員限定です
残り 2705文字


