かつて和久平八郎(演:いかりや長介)は「正しいことをしたければ偉くなれ」と説いた。現場の理不尽を味わい尽くした老刑事の、苦い処世訓だった。それから30年近く経って、青島はその言葉に自分なりの答えを出したのだ。
組織の圧力に気圧されたりせずに、現場から声をあげる。これが青島俊作であり、「踊る大捜査線」の“イズム”だ。現場として正しいことはできる。このセリフをかみ締めながら、目頭が熱くなった。
「踊る」はいつも“時代の鏡”だった
1997年のドラマ版が支持されたのは、刑事ドラマの形を借りて会社員の物語を描いたからだ。本店と支店、キャリアとノンキャリア、会議室と現場——。バブル崩壊後の閉塞感の中で働く人々は、所轄の刑事たちに自分を重ねた。
98年の劇場版第1作で青島が叫んだ「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」は、組織への違和感を代弁する言葉になった。2003年の第2作は興収173.5億円を記録し、昨年『国宝』に抜かれるまで実写邦画の歴代首位を守り続けた。
とはいえ、「踊る」は完成度の高い“名作”として崇められてきたわけではない。当時もアラはあったし、賛否両論を巻き起こしたものだ。それでも、その時々の働く者たちの気分をすくい取り、観客と心を1つにしてきた。それがこのシリーズの力だった。
では、2026年の青島の答えは何を映しているのか。私はどうしても、フジテレビの昨年の出来事を重ねずにはいられない。
25年、中居正広氏をめぐる問題をきっかけに、フジテレビは経営の根幹を問われた。最初の会見は閉鎖的だと批判され、スポンサーが次々にCMを差し止めた。第三者委員会は、経営陣の対応と、長年放置されてきた企業風土を厳しく指摘した。上へ行った人たちが正しいことをしなかったのである。
和久さんの「偉くなれ」は、上へ行けば正しいことができるという前提に立っていた。だが、昨年のフジテレビで明らかになったのは、その逆だった。
上へ上がった人々は組織を、いや自分たちを守ろうとし、結果的に会社を危機に陥れた。「踊る」の世界でも、かつて青島と約束を交わして上を目指した室井慎次は、組織を変えきれないまま警察を去っている。
そのフジテレビが作った映画で、青島は「上に上がらなくても正しいことはできる」と言い切る。上がどうあれ、現場が踏ん張ればいいのだと。これは、不祥事に揺れた局の現場で働く人々自身へのエールにも聞こえる。


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