同時にこの言葉は、昨年の教訓も突きつけている。上へ行った者が組織全体のために働かなければ、組織はダメになるという教訓だ。その意味では、和久さんの言葉も、室井と青島の約束も、消えてはいない。
しかも今回の青島は、ひとりで突っ走るのではなく、若者たちを盛り立てる側に回っている。会議室へかみついた青年が、今は次の世代の背中を押しているのだ。組織の中で自分を貫き、仲間たちと走り回る。その理念は変わらずに生きている。それが青島であり、「踊る」なのだ。
批判を「語り合う場」に変える監督
もう1つ注目したいのが、本広克行監督の振る舞いだ。公開5日目、監督はXに投稿した。賛否両論あるので、Q&Aやティーチインのイベントを開いてもらえれば、映画を語り合うチャンスになる、という内容だ。
批判に反発する作り手は少なくない。昨年公開の大作『宝島』では、大友啓史監督が一般ユーザーの辛口レビューに素っ気ない一言だけを返信し、それが拡散して炎上につながった。
作り手が批判に傷つくのは当然だ。しかし、感情をそのまま観客にぶつければ、作品の評判まで損なってしまう。
本広監督は逆に、賛否そのものを対話の入り口にしようとしている。アラがあることを隠さず、観客と語り合う材料に変える。この姿勢は、「踊る」が30年間やってきたことの延長線上にある。
映画第1作に向けて「ネットワーク特別捜査本部」という掲示板ができ、作り手とファンが意見を交わし合った。参加するファンは「ネットワーク捜査員」と呼ばれた。監督は、ファンと共に作品に取り組む姿勢を忘れていないのだ。
今のコンテンツは、完成品を届けたら終わりではない。観客がSNSで感想を交わし、作り手がそれに応え、その熱量が次の展開を生む。賛否両論は失敗の証しではなく、語り合いが起きている証拠なのだ。
『踊る大捜査線 N.E.W.』は、欠点がありありと見える映画だ。それでも多くの人が劇場に足を運び、怒ったり、あきれたり、青島のタンカに胸を熱くしたりしながら語り合っている。
フジテレビが揺れた翌年に、このシリーズはこの国の現場で働く者たちと再び心を1つにしようとしている。映画の出来栄えを超えたところにあるその価値こそが、「踊る大捜査線」が時代を越えて生き延びてきた理由だと思う。


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