当時DCブランドを作っていた「当事者」たちが多くを語りたがらないという背景もある。業界の第一線から退いたレジェンドたちにとって「あの時代を自ら語ることは野暮でダサい」という美学が根強く残っているためだ。さらに、90年代以降、日本のファッションシーンはヨーロッパ的な洗練やミニマリズムといった引き算の美学へと急速に舵を切った。市村氏は「そういった価値観の変遷も、過剰な装飾を特徴とするDCブランドが敬遠される要因になっているのではないか」と分析する。
「当時を知るセレクトショップ関係者や業界の方に話を聞くと『あの頃のDCはダサかったよ。やっぱりヨーロッパの洗練された服の方が良かった』とおっしゃる方も多いです。でも私たち若い世代からすると、今やヨーロッパ的な洗練こそが当たり前の標準になっている。だからこそ、そのアンチテーゼとして当時のDCブランドが持つ過剰なエネルギーが鮮烈に輝いて見えるんです」
若者が引き寄せられるDCブランドの「トゥーマッチさ」
では、バブルの熱狂をまったく知らない2000年代生まれの若者が、なぜこれほどまでに80年代DCブランドに惹きつけられるのか。市村氏は、その核心には「トゥーマッチさ(過剰感)」があると語る。
「私たちのように20年代から本格的に洋服を見始めた世代は、生まれ育った時代そのものが不景気の中にあります。ファッションのトレンドも、無駄を削ぎ落としたミニマリズムや機能性重視、あるいは効率化されたファストファッションが当たり前の環境で育ちました。そこに何の疑問も持っていなかったんです」
しかし、古着屋として80年代のDCブランドを掘り起こし、実際に手で触れた時、その価値観は根底から揺さぶられた。
「初めてDCブランドの服に深く触れた時、その強烈な『トゥーマッチさ』にただただ圧倒されました。現代の服作りの感覚から見れば『このデザインにこのパーツはいらないだろう』『工賃やコストの面から見ても過剰すぎる』と突っ込みたくなるようなディテールが満載なんです(笑)。でも、そんな無駄を現代の合理的な視点で削ぎ落としてしまうと、途端にどこにでもある服になってしまう。余剰や無駄を恐れずに詰め込んでいる要素こそ、現代の服にはない強烈な独自性であり、最大の面白さがあると思います」


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