結婚を機に「彼との生活を最優先に考え、いつも頑張っている彼をサポートしていくつもりです」と表明。仕事をセーブし、仙台、さらに田中のメジャー移籍後はアメリカへ生活拠点を移した。その後は食事管理などが繰り返し報じられ、「良妻」「内助の功」の代表格として評価されるようになる。里田自身が別人になったわけではないのに、である。裏を返せば、夫を陰から支えるという行動が、野球選手の妻の評価を左右してきたとも言える。
この価値観は過去のものになったわけではない。
大谷翔平が結婚する前には「どんな女性と結婚するのか」が一種の国民的関心事になっていた。女子アナが大谷を狙っているという趣旨の記事がメディアに掲載されると、ファンからは「女子アナとは結婚してほしくない」という声が上がった。
実際、大谷が結婚したのは元バスケットボール選手の田中真美子さんだったが、結婚後には「女子アナじゃなくてよかった」という声がSNSに上がった。パティシエの鎧塚俊彦氏はSNSで「性別や職業によって差別する事に対してこれ程厳しくなっている社会の中で残念です」と苦言を呈した。筆者もこの指摘には同感だ。そもそも他人が、野球選手の結婚相手を「ふさわしい」「ふさわしくない」と判定すること自体、失礼な話である。
「プロ野球選手の妻なのに」という物差しを疑うべきでは?
私自身、プロ野球のファンであるため、応援するチームの大切な選手のことで気をもむ気持ちも分かる。ただ、あくまでファンはファン。他人である。
もちろん板野友美について問題のある行動があれば、その行動について批判すればいい。ただし「野球選手の妻なのに」「夫がシーズン中なのに」と話が進んでいくのであれば、少し立ち止まって考える必要があるのではないだろうか。
共働きが当たり前の時代であり、夫婦はそれぞれが別人格である。会社で「あいつが活躍できないのは、嫁が悪いからだ」と言えば、不適切な発言と受け取られるだろう。それは野球選手の妻だから、有名人だからと許されるというものではない。
日本のスポーツ界を見渡しても、プロ野球ほど選手の妻が繰り返し、メディアの題材になってきた競技は珍しい。それだけプロ野球が社会に根ざしているという証左でもあるが、時代は変わっている。そろそろ「プロ野球選手の妻なのに」という物差しそのものを、疑ってみてもいいのではないだろうか。


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