私は大学での講義や各種の講演などで時々この話題を取り上げることがあるが、聴衆の方々に聞いてみると、前者(なるほどそうだろう)と後者(そんなはずはない)で概ね半々くらいに分かれるのが通常であり、時にはどちらか一方に偏る場合もある。
この話題を私たちはどう考えたらよいのだろうか。まず確認的に述べると、こうした「主観的」な事象あるいは人々の「意識」に関する国際比較調査については、文化の違いという点を含め、その妥当性や評価について慎重であるべきことは言うまでもない。
たとえば、日本人は「謙虚バイアス(self-effacement)」と呼ばれる傾向、つまり自分の現在の状態をやや控えめないし謙抑的に表現する傾向が強いとか、「中央寄り回答(modesty)」、つまり極端な「10」や「0」の選択肢を避ける傾向があるといった点である。たしかにそうした傾向から生じるバイアス――この種の調査において日本人の幸福度は「低め」に出やすい――は存在しているだろう。
「回答バイアス」のせいにはできない
また、こうした「幸福」や「ウェルビーイング」に関する近年の研究や議論の枠組み自体が、個人のポジティブ感情を中心にすえたアメリカ的(ないし西欧近代的)な幸福概念や価値観に依拠しているという批判もある。
そうした幸福観そのものの「文化差」や「多様性」をめぐる論点は今後さらに深掘りされていくべきテーマだろう。
一方、たとえば日本における自殺率が国際的に見てなお高い水準にある点や、“過労死”という、日本特有の要因も働いていると思われる現象が高い頻度で発生しているという点――2024年度の「過労死等(過重な労働や仕事のストレスによる死亡・疾病)」の労災認定件数は1305件と過去最多を記録――など、幸福度(の低さ)を示唆する客観的な事実が存在しているのも確かである。
したがって国際比較調査における日本人の幸福度の低さを、すべて上記のような「回答バイアス」あるいは「文化差」の問題に還元するのも問題だろう。
大きく言えば、「日本人の幸福度は、各種の国際比較を“額面通り”に受け止めるほどには低くないが、決して高いとは言えない」というのが現状の評価として順当なところと思われる。
併せて、こうした幸福度に関する国際比較の結果を、現在の日本社会にどのような「課題」があるかを考える手がかりとしてとらえ、それをいかにして改善していけるかを探っていく、という対応が重要と思えるのである。


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