清野さんは、自分がここまで来られたのは、奇跡に近いと考えている。
「仮に僕を1万分の1の奇跡だとするなら、残りの9999人は毎日を生きるのに必死で、東大どころか大学を受験することもできず、どこかで希望を諦めている」
社会に追い詰められ、学校にも家庭にも居場所を失った子どもは、非行に走る。清野さんにとってそれは遠い世界の話ではない。自分も、何かが少し違っていたら、同じ道を歩いていたかもしれない。
「だからこそ、外から『自己責任論』を振りかざす前に、子どもたちが置かれている危うさを知ってほしいんです」と話す。
社会に苦しめられ、社会に救われた
清野さんは現在に至るまで、社会から多くの支援を受けてきたという。生活保護制度や奨学金があったから大学に通うことができた。あの夜、警察も来てくれた。
「税金でたくさん勉強させてもらいましたから。得た知識や能力は、社会のために使いたい」
現在は、地方自治体や教育機関などと連携しながら、ヤングケアラーの子どもたちに対する教育支援活動を行っている。勉強したいのに家庭の問題で勉強できない。大学へ行くことさえ人生の選択肢として思い描けない。そんな子どもたちに、少しでも教育を届けたい。
ただし、20代の今と、30代、40代になった自分では、社会に返せるものも変わっていくだろうとも考えているそうだ。
「今は自分の勉強の経験やノウハウが生かせるので、教育の仕事をしています。でも、いずれそれが古くなってきたら、そのときは大学生活を通じて学んだことを社会に還元したい」
そのために今、ロースクールで法律を学び、研究を行っている。司法、立法、行政……日本社会の制度の根幹に携わり、民間や個人の力では及ばない領域にも手を差し伸べるためだ。
8月には自伝『ヤングケアラーの僕が東大に合格するまで――家事、介護、そして勉強 それでも僕はこの家から東大に行く』を刊行した。布団に置かれたナイフのことも、警察署で食べた菓子パンのことも、包丁を突きつけられた日のことも、すべてを自分の言葉で綴る。
圧倒的な才能を持ちながら、家庭環境によって、その能力を発揮する機会さえ失いかけた少年。社会に苦しめられ、社会に救われた青年は今、その社会を少しでも変える側に回ろうとしている。清野孝弥さんの「神童のその後」は、まだ始まったばかりだ。


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