敷地に立つ直径32mと34mのパラボラアンテナ2基は、受信系の装置を入れ替えて天文観測に回り、保守の一部は山口大学の学生が担っている。受信用にこれほど大きなパラボラアンテナを新たに造ることはもうないと、現地のエンジニアは話した。
下支えの10年、20年から「宇宙から選ばれる街」へ
囲み取材で松田氏は、全国にサービスを提供する中で地域に向き合うことが大事になっているとし、山口の衛星通信所は「テクノロジーの変化点になっている」と話した。衛星通信所という拠点があるのだから、山口を協定先に選ぶのは自然だったと松田氏は言う。
その変化点の中身を、松田氏は宇宙産業に見ている。衛星通信所のこれまでを「この10年、20年はどうしても下支えする方だった」と振り返り、宇宙産業の発展とともに、その通信所がある山口は大事な街になる、「宇宙から選ばれる街になってもらいたい」と語った。
松田氏が繰り返したのは、目に見えるシンボルの必要性だった。県とのシンボリックな取り組みがあれば周りに企業やスタートアップが集まり、人の育成や経済の活気につながるという。
具体策として、衛星通信所に子どもやこれから社会人になる人、スタートアップを呼ぶアイデアソンを挙げた。県とKDDIが協定の具体策の先頭に据えたのも、衛星通信所の知見を生かした先端技術の導入と、教育機関と組んだ人材育成だった。囲み取材で協定の狙いを聞かれたときも、宇宙への玄関口を着実に形にして、県民や学校の側に宇宙産業やデジタルへの関心を広げたいと答えた。
山口県の村岡嗣政知事は締結式後、宇宙とのつながりが暮らしにも経済にも重要になるとして、衛星通信所の機能がさらに大きくなることに期待を示した。松田氏が岩国出身であることにも触れ、「特別、山口県にご配慮いただいたんじゃないか」と話した。
KDDI社長の松田氏自身が山口衛星通信所を最初に知ったのは、小学校の社会科で県内のことを学ぶ教科書だった。岩国で育ち、わざわざ見に行った記憶はないが、山口市に出かけたときに遠くから目に入っていたかもしれない、と本人は言う。
松田氏は1996年にKDDに入社し、最初の赴任地は茨城衛星通信所だった。当時はインド洋上空の衛星を山口、太平洋上空を茨城が受け持つ二局体制だった。静止衛星でも少しずつ位置がずれるため、アンテナの可動部に油を差すような仕事もあった。その2年間を「一番学びでもあり、あれがなければ今がない」と振り返った。


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