有料会員登録 東洋経済オンラインとは
キャリア・教育

《小牧・長久手の戦い》が勃発!"辛抱強くて我慢強い"イメージがある家康の「意外と大胆な素顔」

7分で読める
徳川家康(写真:akg-images/アフロ)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

INDEX

大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、羽柴秀吉が「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家を破り、勝家は自害。信長の三男である織田信孝も自ら命を絶つこととなった。

次回の放送で、クローズアップされそうなのが、徳川家康と織田信雄である。秀吉からすれば、勝家に加担していた滝川一益も降伏した今、天下統一に向けて大きく前進したと言える。

あとは、織田信長の次男である信雄、そして信長の同盟相手だった家康を、どう排除するか。それが目下の課題となる。

家康と手を組んだ信雄

そんな気配を察して信雄が先に動く。家康と手を組んで、秀吉と対抗しようとしたのである。

天正12(1584)年3月6日、信雄は家臣のなかでも、秀吉と内通していると思われた岡田重孝、浅井長時、津川義冬の三家老を誅殺。それに呼応するように、家康は翌7日に浜松城からただちに出陣する動きを見せている。この迅速なコンビネーションから、それまでに両者で申し合わせを行っていたと思われる。

3月13日、家康は信雄の居城・清洲城に入る。ここで信雄と協議し、尾張・美濃の諸勢力への調略を進める一方、秀吉軍に備えて小牧山に本陣を置く方針を固めた。

そのころ、秀吉方についた池田恒興が犬山城を占拠する一方、森長可も羽黒へ進出していた。3月17日、これを察知した家康方は羽黒の森勢を急襲して撃破する(羽黒の戦い)。小牧・長久手の戦いは、こうして本格的な戦闘段階へと入っていくことになる。

2/4 PAGES
3/4 PAGES
4/4 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

キャリア・教育

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数