しかし、赤痢患者が収容される「避病院」は掘っ立て小屋で、治療設備もなく、医師も看護婦も常駐していないような状態だった。誰にも面倒を見てもらえることなく、糞尿にまみれて悶え苦しむ患者たちをみて、和はまず院内の衛生状態を改善することに尽力する。それは、まさにナイチンゲールがクリミア戦争に看護婦として従軍し、戦地の野戦病院に到着して真っ先にやったことでもあった。
避病院内を徹底的に清掃して換気と消毒を行い、患者の身体はもちろん、衣服も清潔に保つようにする。かつ、屋外にトイレを設置したほか、簡素な炊事場を作って、温かい食事を提供するように対策を講じた。
その結果、ナイチンゲールと同じく、和も収容された病人の死亡率を大きく下げることに成功した。
その後、和は手洗いや換気を推奨するべく、隣の町村を回って講演を行っている。赤痢患者の発生件数は年々増え続けていただけに、和の啓蒙活動は大きな意義を持つものとなった。
戦争が感染病の蔓延を引き起こす
明治27(1894)年4月になると、知命堂病院内に附属産婆看護婦養成所が設立される。新潟県初となる看護婦養成所であり、和は病院の看護長と兼任して講師に就いて、実地指導を担当することとなった。そうしてトレインド・ナースを育成することは、伝染病に対応できる人材を育てることでもあった。
ドラマでは、新潟でのりんの活動は十分描かれなかったものの、「もし、りんが黒川医師と再会しなければ、看護業務へのトラウマを抱えたまま、どうなっていたのだろう」と思わせる展開になっていた。
実際にも、和の生涯において、看護婦復帰のきっかけをくれた瀬尾原始の存在は大きかった。そして瀬尾にとっても、和との再会は重要なものだった。


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