感染症の収束後、りんは黒川病院で看護婦として1年間働き、その後、直美とともに東京で派出看護婦の仕事をすることを決意する。いわば黒川は、りんの看護婦復帰の立役者といってよいだろう。
これがドラマでの流れにあるが、一ノ瀬りんのモチーフである大関和も、帝大附属病院を退職した後は新潟県の高田女学校(ドラマ上の「高越女学校」のモデル)の生徒取締の職に就いている。
そして、約1年後、帝国大学医科大学附属第一医院に外科医師として勤務していた瀬尾原始と、新潟で偶然の再会を果たす。ドラマの黒川勝治は、この瀬尾をモチーフとした人物ということになる。
史実では瞬時にスカウトに応じた大関和
瀬尾は、和よりも1年早く帝大附属病院を退職して、第三高等中学校医学部(岡山大学医学部の前身)に転属。生まれ故郷である高田に呼び戻されたのは、瀬尾の養父で高田藩の藩医・瀬尾玄弘が、大規模な知命堂病院を開設しており、そこの院長を務めるためだった。
ドラマでの黒川と同様に、瀬尾は「院長としてトレインド・ナース(専門的な教育を受けた看護婦)を雇い入れたい」と考えていたものの、目ぼしい人材を地元で見つけるのは困難だった。開院が迫る中で、和と偶然に再会を果たしたことで、ぜひ自分の病院に迎え入れたいと思ったらしい。早速、こうアプローチしている。
「大関さん、うちの病院で働いてください」
実際の和はドラマのりんとは違い、看護業務へのトラウマを抱えてはいない。すぐさま学校の校長に退職願を提出。引き継ぎを猛スピードで済ませて、瀬尾のいる病院へと転職している。
瀬尾と出会って1カ月もたたないうちに、和は病院の幹部として忙しく働いていたというから、まさに人生の急展開を迎えたといえよう。
ドラマとは順番が前後しているが、その後、和が看護婦として復帰して間もなく、赤痢患者が発生したという村から知命堂病院に救援要請が寄せられる。
それを聞きつけた和は瀬尾院長に直訴して、自ら赤痢患者が発生した集落に向かったという。感染リスクを顧みずに、自分のやるべきことをやる――。まさにドラマでのりんのように、和は看護婦としての使命をまっとうしようと考えたのである。


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