⑤再開発が駅前に百貨店を集めた
しかし、福島の街が大きく動き始めたのは、それより前だった。きっかけは駅前の再開発である。
かつて福島市の商業の中心は、福島駅から東へ徒歩10分ほどの本町・大町周辺にあった。中合や山田百貨店もこの一帯に店を構え、駅前から少し離れていた。
その重心が駅前へ動いたのは、1960年代後半、全国的な駅前再開発の機運の中でのことだ。当時、県庁所在地を抱える各自治体では、駅を降りた人が最初に目にする駅前こそが街の顔だという発想が広まっていた。
1966年、福島駅前で木造旅館を営んでいた辰巳屋が、老朽化した建物の建て替えに踏み切る。翌年には市も、駅前一帯の再開発を都市計画として動かし始めた。
辰巳屋は、新しいビルの核テナントとして中合を誘った。「中合が入らなければ東京や大阪の大手百貨店が進出してしまう」という危機感があったという。業界誌では、中合は「尻を叩かれる」ような形でこの誘いに応じたとされている。
1973年10月、中合は大町から駅前の辰巳屋ビルへ移転した。売場面積は旧店舗の2倍を超える1万6064平方メートル。この年、年商は100億円を突破する。翌月には、山田百貨店も駅前に新しくできた平和ビルへ移転した。
わずか1カ月あまりの間に、再開発によって生まれた2つのビルに2つの百貨店が並んだ形だ。駅前は一気に賑わいを増し、県都・福島の新しい顔として、多くの人で埋まるようになった。
齋藤さんの体感では、駅前のにぎわいが最も濃かったのは1970年代からバブル期にかけてだったという。
「福島市は自転車の街でもあるんですよ。あの頃は道路にずらーっと自転車が並んでいた。歩道は歩行者天国になって、自転車を止める場所を探すのも一苦労だった。それくらい賑わってたんですよ」と振り返った。


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