そしてこれらはいずれも特定の共同体を超えた「人間」という観念を初めて持ち、普遍的な価値を提起するとともに、人間にとっての精神的・内面的な倫理や幸福の意味を説くという点において共通していた。
仏教での「慈悲」、儒教での「仁」、ギリシャ哲学での「徳(アレテー)」、旧約思想を受け継いだキリスト教での「愛」等である。
では、そもそもなぜこの時代にこうした普遍的な思想が生まれ、また「幸福」の意味が探求されたのだろうか。
興味深いことに、最近の環境史(environmental history)と呼ばれる分野の研究によれば、この時代は約1万年前に生じていた農業文明(=グローバリゼーション2.0)が大きく拡大・発展した帰結として、森林の枯渇や土壌の浸食等が進み、農業文明が資源・環境制約に直面していた時代だったことが明らかになっている。
そうした状況の中で、それまでの「物質的生産の限りない拡大」という方向ではなく、資源の枯渇や環境破壊等を伴わないような形での発展や精神的な豊かさを求める方向に、大きく舵を切ろうとしていたのがこの時代だったと言えるのではないか(詳細は拙著『創造的福祉社会』(2011年)、『ポスト資本主義』(2015年)等参照)。
読者はお気づきのとおり、これは現在と極めてよく似た時代状況である。つまり、約200~300年前に始まった産業化ないし工業化の大きな波が成熟段階に至り、物質的な豊かさが飽和するとともに気候変動など地球規模の環境問題が浮上し、私たちは根本的なレベルでの時代の転換期を迎えている。
「紛争と分断の時代」ゆえの思想
枢軸時代と現在の共通点は実はもう一つある。それはこの時代(枢軸時代)は国家や民族間の「紛争」ないし「戦争」が多発する時代でもあったという点だ。
例えばインドでは十六大国が並立し国家間の抗争や王位争いが頻発し、中国は文字どおり春秋「戦国」時代、ギリシャはペルシャ戦争やペロポネソス戦争などが続き、中東では新バビロニア、アケメネス朝ペルシャなどの大国が興亡し戦争や征服が頻発、という具合である。
そして、まさにこうした紛争と分断の時代であったがゆえに、人々の相互理解と融和の土台となるような、あるいは個別の共同体を超えた普遍的な価値を提起するような、「共存」ないし「共生」のための思想が生成したのではないか。
これも現在に通じる状況である。


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