競馬である。
8月16日、フランスのドーヴィル競馬場でジャックルマロワ賞(3歳上・牡牝・G1・芝1600m)が行われた。何とマイルの完全直線競馬で、申し訳ないが、新潟競馬場の「千直」なんか目じゃない。ジャックルマロワ賞はそれだけスタミナとスピードが要求されるタフなレースだが、実は日本馬では、1998年にタイキシャトルが完勝し、日本馬初の海外マイルG1制覇となり、欧州競馬界に日本馬が世界最高レベルにあることを知らしめた重要なレースである。
しかし、今年は、2頭が挑戦し、シュトラウス(武井亮厩舎)が9着、シックスペンス(田中博康厩舎)は大きく離された殿(しんがり)10着と大惨敗した。いまや、日本馬のレベルは世界最高峰、98年とは比べ物にならないレベルにある。それなのに、なぜ、今年は勝てなかったのか。
一方、日本では、10月のフランス凱旋門賞に挑戦する予定のアドマイヤテラが、「本番前のひと叩き」として16日の札幌記念を使った。レースは騎手の謎の「捲り戦法」のせいもあり、こちらも9着と大惨敗した。
アドマイヤテラの友道康夫調教師は、レース前、フランスでの前哨戦ではなく、日本でのレースを選んだことに関して、「向こうで1カ月ほどの滞在だと中途半端だよね。馬場が違うから走り方も変わる。それなら、走り方が合うか合わないかだけど、日本からいい状態で連れていきたい」と説明していた。
16年のマカヒキや、22年のドウデュースと、過去2回、凱旋門賞に管理馬を参戦させたときは、友道師はフランスの前哨戦を使っていたが、当時に関して「特にドウデュースは明らかにおかしかった。現役中、あの1カ月だけ調教でも動かなかった」とも述べている。
これら一連の言葉から、日本馬がなぜ凱旋門賞を勝てないかについて、何かヒントがあるだろうか。これら3頭の馬に共通することは何だろうか?
第1に、調教師の先生方が、みな「挑戦」という言葉を使っていることである。勝ちに行っていないのである。98年のタイキシャトルの藤沢和雄調教師は、勝ちに行っていた。これは一種の「日本病」「JRA(日本中央競馬会)病」で、オリンピック精神、あるいは銅メダルでもいいから、メダル、メダルという、勝たなくてもいい、という姿勢である。
しかし、「金メダル(1着)」以外は負けなのである。とりわけ競馬は、特に馬にとっては、血統書に父親あるいは母親として載ることが目標であり(人間が定めたものではあるが)、その時は、勝ちしか載らない。「この馬は2勝している」「G1 3勝馬である」という具合である。しかし、日本は賞金体系、馬券体系(3連単や馬連が中心)が「善戦でいい」という文化を作り上げてしまっている。
第2に、調教師が3頭とも別々の調教師である。だから、海外挑戦何回目、と言う話になるが、こんなにバラバラでやっていてはいつまでも挑戦になってしまう。調教師としては、いい経験になったと言うが、馬にとっては、競走人生(馬生)は、二度とないのである。フォーエバーヤングを管理する矢作芳人調教師は、「世界の矢作」などと言われるが、それでも海外参戦回数は「延べ何回」と数えられる。フランスやアメリカの調教師は、数名の名前しか出てこない。凱旋門に3頭、4頭出してくる、地元フランスの調教師だけでなく、ほかの国、あるいはアメリカでも、いつも同じ調教師である。調教師の経験が違う。いつも言うが、日本は、調教師の世界が互助会になっている。騎手以上に優勝劣敗、そしてスケールメリットを生かす、組織としての厩舎にしていかないといけない。
生産が最重要、日本調教にこだわるべきではない
最後に重要なのは、実は、この3頭は、いずれも、ノーザンファームの生産馬なのである。調教師は互助会で、バラバラに経験を積んでいき、世界の調教師の経験値の何万分の1になってしまっているが、生産者としては、むしろ、世界レベル、世界で遜色ないどころか、世界有数の生産者なのである。「吉田三兄弟」を一つの吉田ファミリー、大きな1つの社台グループとしてみれば、それこそ、世界最高の生産者である。海外遠征のノウハウは、生産者だけに蓄積されていくのである。
で、これはいいことか悪いことか、というと、昨年大人気を博したドラマ『ザ・ロイヤルファミリー』での印象などと異なり、いいことなのである。匹敵する規模と質のライバルが必要ではあるが、生産者は規模が大きいほうがいいのである。
さらに、日本馬とは何か。日本の競馬が世界に勝つとは、どういう意味か。日本の騎手が凱旋門賞で、イギリスのチャンピオンステークスで、アメリカのブリーダーズカップで、勝つのか。日本調教馬が勝つことなのか。
まず、騎手は関係ない。国籍なども関係ないし(クリストフ・ルメール騎手はJRA所属である)、所属も関係ない(凱旋門賞でオルフェーヴルに池添謙一騎手は乗せてもらえず、フランスのクリストフ・スミヨン騎手が2回とも乗った)。日本馬、フランス馬などという所属は、調教の場所で決まるから、日本馬が世界を、というときは、一般には、日本調教馬が海外のレースを勝つことを指すが、本当に大事なのは、調教がどこか、ではなく、生産がどこか、なのである。
だから、日本の競馬が世界を制するとは、日本の調教師が管理する馬が勝つことではなく、日本の生産者が生産した馬が勝つことなのである。さらに、私的に言えば、日本の血脈が中心にある馬が世界中に広まり、世界中の勝ち馬の血統表に、日本生まれ、何代にもわたって、牝系が日本の生産馬であることが、もっとも重要なのである。
だから、凱旋門賞で2着となったエルコンドルパサーのように、凱旋門賞のために、年間を通じてフランスで調教を続けるか、日本生産馬をセレクトセールで、アラブ諸国の王様がお買い上げになり、アイルランドの調教師に預けて、その馬が欧州のG1を勝ちまくることがもっとも重要なのである。
友道師が言うように、馬は環境に合わせて走り方も変わるし、レースのスタイル(フランス風、アメリカ風)に慣れていく。馬は対応できるのであるが、能力自体は変わらない。能力の優れた馬を代々作っていくことが馬づくりであり、競馬であるから、日本調教にこだわってはいけないのである。


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