戦後81年が過ぎた。主権者は国民であると規定している日本国憲法は、今のところ修正されていない。それは、主権者は国民であるという考えが、しっかりと根付いたからかもしれない。
先日、皇室典範の一部改正案が成立したが、最大の課題である女性天皇を認める改正という点は問題とならなかった。1条の条文、「男系の男子が、これを継承する」という規定への変更は手が付けられなかった。
しかし、女性天皇を望む声は国民の間に広がっている。国民の多くがそれを望んでいることは、主権者である国民の意思かもしれない。だから、男性女性問わず天皇になりえる社会は、いずれ実現することであろう。今の天皇制が、国民あっての天皇制であるかぎり、そうなるはずである。
さまざまな体制の可能性が議論されていた時代
日本という国を考えるとき、明治初年に論議された一連の思想の影響は大である。今の日本社会の基礎は、宇宙が3分間で決定づけられたように、明治の最初の20年の間で決まったともいえる。
その20年間は天皇制すらもまだ明確ではなく、民主制、共和制、君主制など、さまざまな体制の可能性が論議されていたからである。
民主主義という考えは、けっして戦後日本国憲法によって生まれたものではない。明治時代に西欧から日本に輸入されたものである。明治初年には、まだ日本の維新体制の内容は不明確であり、その将来のあり方について侃々諤々の議論が展開されていた。
そうした議論の多くが、西欧の思想の影響を受けていたことは間違いない。この当時の大ベストセラー本は福澤諭吉の『学問のすすめ』であるが、その冒頭の句は、明治がいかに革命的なものであったかを物語っている。
これは明治5年から9年にかけて出版されたものであるが、封建制時代にあった身分制を否定する新しい社会の到来を高らかに謳っているのだ。当然多くの批判もあった。しかし、これまで身分社会の中で暮らしてきた日本人に、人間の解放を高らかに主張する言論の自由があったことは注目してよい。
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