
その限りで言えば、明治維新は復古主義などではなく「革命」であったのだ。民主的社会を願う馬場辰猪(ばば・たつい、1850~1881年)の『天賦人権論』、中江兆民(1847~1901年)の『民約訳解』などが登場し、西欧思想の影響は大きなものであった。
明治元年に出た五箇条の御誓文の第2条に、国民は身分の上下なく国を治めるとあったことは、明治の人々の解放感の表れであった。
もちろん、国学や皇学思想もだまっていたわけではない。武士階級や貴族階級を残し、天皇主権社会を作るという議論もあった。
こうした中、急激な変化を恐れる岩倉具視は、「国事意見書」なるものを書き、万世一系の天皇の世界を実現することを説く。もっとも国民の多くも、西欧から直輸入の思想をそのまま受け入れ、一気に西欧化することへの不安をもっていたことも確かである。
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