アクセシビリティ(利用しやすさ)への取り組み自体は、各社が長年注力してきた領域でもある。Appleは画面読み上げ機能のVoiceOverをOSに標準搭載し、Microsoftはディスレクシア(読字障害)の児童を想定した「イマーシブ リーダー」を教育向けに無償提供している。これらはいずれも、既存の教材を読みやすくする「補助」としてのアプローチだ。
対してEnumaの立ち位置は、補助機能を後付けするのではなく、つまずく子を起点に教材そのものを設計するという点にある。14年間磨いた手法が世界でもっとも優秀な学習者にも届きながら、本当につまずいている子にも機能する。その両立にこそ誇りがあると2人は語った。
「魔法のような方法はない」
もっとも、彼らは自分たちの手法を万能だとは考えていない。国や文化が変われば、通じないことがいくらでもあるからだ。
再びタンザニアの話になる。フィールドテストでライオンのイラストを使ったところ、子どもたちはそれが何なのか認識できなかった。テレビも雑誌もなく、野生のライオンを見る機会もない環境で育った子どもたちにとって、ライオンの絵は意味を持たなかったのだ。
自分たちが当たり前だと思っている常識は、世界のほかの場所では常識ではない。コンホ氏は、これに対処する特別な手法はないと率直に語る。「魔法のような方法はない。組織全体の感度と認識のレベルを上げることに尽きる」。
たとえばインドネシアでは、宗教上の理由から豚や犬が清くないとされるため、初期カリキュラムに登場する簡単な単語として使えず、肉屋のイラストから豚に見えるものをすべて取り除く必要があった。韓国や日本で描いたイラストをアメリカに持っていくと「なぜこの子たちは怒っているのか」と聞かれる。アジアでは眉毛を単なる形として描くが、アメリカでは眉毛の形が感情を表すからだ。逆に日本の子どもは、ほかの国に比べて怖い表現や怒った表現に敏感な傾向があるという。
この背景には、2人がゲーム業界出身であることも効いている。韓国でもっともハードコアなゲーム会社のひとつNCsoftを経た彼らにとって、オンラインゲームの世界ではリテンション(継続率)が王様だ。ユーザーが離れないよう、データを見て製品のほうを変える。ところが教育の世界では、教科書は変えられない、変えられるのはユーザーのほうだと考えがちになる。ユーザーは変えられない、変えられるのは製品だけ──この逆転した前提が、文化的なずれを執拗に潰していく姿勢につながっている。


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