だがEnumaのCTOであるコンホ氏は、この理解こそが一面的だと指摘する。テクノロジーによる個別最適化を、レベル判定と問題の出し分けの技術としてだけ捉えるのは、あまりに狭いという見方だ。
彼がそう考えるようになった原点は、アフリカ・タンザニアでの実証実験にある。2014年に開始された「Global Learning XPRIZE」は、実業家のイーロン・マスク氏がスポンサーを務め、UNESCOとも連携しながら展開された国際コンペだ。学校に通ったことのない、地球上でもっとも遠隔の地に暮らす、読み書きのできない子どもたちに、タブレットのソフトだけで基礎的な読み書きと算数を教えられるか。対象はタンザニアで、スワヒリ語が課題だった。
Enumaは「Kitkit School」でこのコンペの共同優勝者となり、農村部の無就学の子どもが15カ月で読み書きと算数を習得できることを実証してみせた。数字だけを見れば、テクノロジーによる個別学習の勝利に見える。
しかしコンホ氏が現地で何より心を動かされたのは、成績のデータではなかった。子どもたちが1台のタブレットのまわりに集まり、頭を寄せ合って一緒に学んでいた光景だったという。
AIは「メガネや補聴器」と同じである
コンホ氏の言葉を借りれば、子どもが自分の画面だけをのぞき込んでいる状態は、決してよい学びではない。
では、AIやテクノロジーは何のためにあるのか。彼はこう表現する。メガネや補聴器と同じように、子どもを「拡張」するためのものだ、と。
視力が弱い子はメガネをかければ、ほかの子と同じ黒板が見える。耳が聞こえにくい子は補聴器をつければ、同じ授業に参加できる。同じようにAIは、理解の速さや能力に差がある子どもたちが、同じものを同時に見て、同時に聞ける状態をつくるための支えであるべきだという。


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