同記事の取材で井関氏は〈「ある時、石川塾長に呼ばれ、『君も委員会に入ってくれ』と言われました。私と高橋は学部の外れ者でしたから、声をかけてくれてうれしかった。……石川塾長が出席した日の委員会で、私の構想を説明したら、塾長が『井関君、それでやろう』と言ってくれ、そこから流れが変わりました」〉と話している。
学内の反対を押して据えたSFCのスポークスマン
加藤氏を総合政策学部長に推したのも井関氏と高橋氏だった。加藤氏は当時、経済学者として各界に知られた論客だった。それまでになかったSFCの教育を、説得力を持って話せるのは加藤氏しかいないと考えたのだ。
しかし、この人事案には学内で激しい反発が起こった。〈「第2経済学部をつくると思われたようで、それが加藤さんへの批判という形で出てきた」(井関氏)〉。ただ、その際も石川氏は周囲の反対を押して加藤氏の起用を決めている。
実際、加藤氏が内外のスポークスマンとなり、SFCブランドを高め、牽引したのは間違いない。SFC生の代名詞ともなっている「未来からの留学生」というキャッチフレーズをつけたのは加藤氏である。また、文部省への説明の際に〈……新学部は文系かとの問いに「最近の文系の学生も利口(理工)になってきまして、文系も理系も区別できなくなってきました」〉(『未来を創る大学』)と答え、担当者を笑わせたエピソードも有名だ。
井関氏は〈SFCを開設してから、多くの財界人、メディア、政治家が視察に来ました。加藤さんは見送る際、車が見えなくなるまで頭を下げていました。視察に来た人は新しい大学のことはよくわからないのに、戻ってから『すばらしい大学ができた』と言ってくれました。卒業生も出ていないのに、話題になったのは加藤さんのおかげです〉と振り返っている。
大胆に権限を委ね、必要な人材を周囲の反対があっても起用する——。SFCという前例のない大学づくりは、石川氏の卓越したリーダーシップによって実現したところも大きいのだろう。


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