同志社国際高校の事故でも、担当学年の教員の多くが、これまで実施していて特段問題は起きなかったのだから今回も大丈夫だろう、と正常性バイアスを働かせ、事故が起こるかもしれないリスクを無視ないし軽視したことが示唆される。
そもそも危険性の高い辺野古ボートコースは、なぜ導入されたのか。その経緯について、報告書はこう述べている。
「盲目的な信頼」、「漠然としたものとしかいいようがなく」と第三者委員会は述べるにとどまっているが、どうして、教員は盲目的に信頼してしまったのだろうか。3つほど考えておきたい。
第1に、教員・学校側に、海の危険性や船舶についての知識も経験も不足していたことの影響だ。報告の中でも「高校生が乗って現場を見るだけであれば、そこまで危ない状態にはならないだろうと思っていたし、船舶については専門外で詳しいことはわからなかったので、前年度踏襲であれば安全性は担保されているのだろうという甘い認識であった。」と述べる教員もいたことを紹介している(報告書p.152)。
第2に、死亡した金井船長(報告書ではc1氏)が牧師として信頼のおける人物だと教員側に認識されていたことが、ほかのことでも大丈夫だろうということにもつながった可能性がある。これは「ハロー効果」と呼ばれている認知バイアスで、ある顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められることだ。
辺野古ボートコースが初めて導入された2022年度の経緯について、報告書はこう述べている。
当然のことながら、牧師や教育者としての人物の評価と、船の安全性を判断できる人物かどうかは、別次元のはずだ。だが、他校でも実施されているとのことだし、この人の言うことなら大丈夫だろう、と考えてしまった。
第3に、教育的な意義や効果を重視するあまり、安全性のリスクについて軽視していた可能性だ。報告書では、辺野古ボートコースの提案を金井氏から受けた2022年当時、教員側は「新基地建設(移設)の必要性という側面と、埋立てに伴う海洋環境やサンゴへの影響という側面とを併せて生徒に提示することで、生徒一人ひとりが自らの価値観や良心に照らしながら、多角的に考え、感じる機会となり得ると考えた」と述べている(報告書p.61)。
また、辺野古とは異なる選択コースだが、2025年度、本件事故が起きた研修旅行の検討過程において、学年主任(a5教諭)の発案により「ガンガラーの谷」から「戦没者の遺骨収集作業参加」へプログラムが変更された。
学年主任は「遺骨収集現場では不発弾が発見される可能性があることや、そのために金属探知機を用いて安全確認を行いながら遺骨収集活動が行われていたことを認識していた」ものの、「沖縄戦への理解を深め、平和学習の一環になると感じたことから」導入を提案した(報告書p.88)。ここでも、安全性の検討はスルーされ、教育的な意義が強調されていた。
(2)旅行のプロである旅行会社がほとんど関与できなかったこと
ところで、今回の報告書や文科省の通知等で、違和感があるところがある。それは、旅行の専門家でもない教員に過度の期待をしてはいないだろうか、という点だ。
もちろん、第三者委員会が述べるとおり、学校は生徒の安全確保に向けて注意義務はあるし、今回、あまりにも杜撰だったことは猛省する必要がある。報告書を読むと、事故を防ぐことができたかもしれない分岐点はいくつもあったとも思える。


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