佐久間勢は度肝を抜かれたことだろう。なにしろ大垣から賤ヶ岳までは約52キロ。それを秀吉軍はたった5時間で駆け抜けたのだ。これは中国大返しに続く、秀吉2度目の「大返し」である。
敗走する勝家だったが、秀長の狙い通りに深くまで攻め込んでいたため、秀吉の猛追にとらえられてしまう。4月24日、勝家は北ノ庄城で自害に追い込まれて、享年62歳の生涯を閉じることとなった。
秀吉から叱責を受けた秀長
戦には勝利したものの、中川清秀を失ったことから、秀長は「味方の将を見殺しにした」と、兄から叱責を受けたという。それが冒頭の言葉へとつながっていく。
だが、秀長からすれば、感情に任せて無理に救援にいったところで、勝ち目はない。勝家と兄のかつてからの確執を知っているだけに「自分は冷静でいなければ」と、ことさら考えたのではないだろうか。
ナンバー1が熱くなっているときこそ、ナンバー2の価値が試される。羽柴方の事実上の大将として、見事に勝利を収めた秀長。この頃から、兄の代役を超えて、自分の役割を果たすようになるのだった。
【参考文献】
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)
杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)



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