確かな史料も見つかっていない。私自身も事実関係を断定することはできない。ただ、この土地で長く語り継がれてきた話である日本人女性の伝承。もしこの地に彼女たちがいたのだと仮定して、その後のコヒマからの過酷な敗走を思うと、どのような運命をたどったのか――想像するだけで胸が詰まる。
旧日本軍がコヒマを占領した44年4月以降、ここで待っていたのは英印軍の猛反撃だった。コヒマの戦いは後に「東のスターリングラード」と呼ばれるほどの激戦となる。塹壕は数メートルの距離で向かい合い、肉薄戦が続いた。
補給は完全に途絶えていた。司令部からの増援もない。
ついに6月1日、師団長・佐藤幸徳中将は独断で撤退を開始した。命令違反に近い異例の判断だった。
退路はまさに地獄だった。後ろから迫るイギリス兵の追撃と村々での内通や裏切り。それだけではなく飢餓、赤痢、マラリアーー。兵士たちは次々と倒れ、山中に放置された。
「兵団の将兵は累々と死者を残しつつ、尚も豪雨の中を転進しなければならない。一粒の米、ひとかけらの岩塩を求めてーー。我が工兵隊にも六月中旬より連日死者の出ることを已(や)むなくした。(中略)死んだ土志田上等兵の如きは、夜眠る迄は元気でいたのに、朝起床をかけた時には冷たくなっていた等、悲惨という他はない」(『インパール作戦─烈兵団コヒマの死闘』村田平次著より)
ジェサミ村を案内してくれたアセッウェザさんは言う。
「見つけられた遺体は埋めました。しかし、いまも山のどこかに残っている人たちがいます」
現在も村人有志が発掘を続けている。
ジェサミの静かな山並みは、今も82年前の闘いの痕跡を飲み込んだまま、沈黙している。

