ちなみに同組織はお雇い外国人教師と走舸組の部員の尽力により結成されたため、漕艇部が大きな影響力を持っていた。毎春、隅田川では帝国大学競漕大会が開催されるようになり、各学部の名誉をかけた戦いということで、週末練習・合宿練習など熾烈な練習が行われるようになる。
熾烈な練習は強靭な肉体と精神を鍛えることに役立ったのかもしれないが、その一方で学業が疎かになる、応援合戦の過熱、勝利至上主義の価値観を生み出すなどの弊害も生んでいた。
明治時代には中等教育学校においても校友会や運動会などの団体が組織されたが、運動部の活動は教員主導の活動であって「子どもたちの自治活動の場」ではなかったという。こうしたことも、部活は教員が主導するものという価値観の醸成につながった可能性があろう。
1970年代に「教員の負担増」となった転換点
しかし終戦直後から1950年代前半までは、教員が運動部活動に関わる割合は現代と比べて少ないものであった。例えば1949年調査によると「運動部活動にかかわる教員は半数程度であった」し、55年調査では「顧問に就いた場合でも、指導・ 管理・引率を引き受けず、実質的なかかわりを持たない教師が少なくなかった」ことが明らかとなっている。
それが可能であったのは「教職員以外の地域住民が指導を担うことが多かった」からであった。ところが70年代に入ると部活に関わる教員の数は増していく。
77年調査では、部活の指導者の中で教員が占める割合は中学で94.4%、高校で91.4%となっているのだ。それはなぜかと言えば、部活の指導を担う地域住民が減ったからである。


※ログイン後、コメント入力が可能です。