ソフトテニス部だった筆者の中学生時代を思い返してみても、顧問の先生は放課後の指導だけでなく、週末の練習試合や大会にも来てくださったし、遠方に試合に赴く時には車を出してくださることもあった(夏休みもほぼ毎日、練習があった)。
顧問は英語の先生であったが、部活の指導がもしかしたら授業研究や学級運営の支障になっていたかもしれない。しかしその頃の筆者は先生の指導に感謝しつつも、そうしたことにはまったく考えが及んでいなかった。
エリートの娯楽、東大から始まった部活のルーツ
現場の教員から負担が重いとして悲鳴が上がっている部活動であるが、そもそもその歴史はどのようなものであったのか。日本に野球やサッカー・陸上競技など「近代スポーツ」が伝わったのは明治維新以降のこと。
明治時代に外国人教師によって持ち込まれたスポーツはエリート層の学生たちの間で正課外のクラブ活動として浸透していく。
例えばボートレースにしても日本に入港中の外国人の海軍水兵が盛んにレースを行い評判になるが、それに関心を寄せたのが東京大学だった。
東大では1883(明治16)年頃からさまざまなクラブが成立するが、翌年にはその統括組織である「走舸組」(そうかぐみ、後の帝国大学漕艇部の前身)が結成される。
その後、86年には運動部を中心とした校友会組織「運動会」(漕艇部・陸上運動部・球戯部・水泳部・柔道部・撃剣部・弓術部の統括組織)が設立された。
この「運動会」という組織は運動が「学術道徳に資する所少なからず」(学問を修めることや人としての道徳心を養うことにも役立つ)ということで、「身体の健全を維持」すること、「精神の健全なる発達」を遂げることなどを目的として設立された。


※ログイン後、コメント入力が可能です。