3人目のキーパーソンとしては、稀代の軍師として豊臣家の天下統一を支えた、黒田官兵衛を挙げたい。
天文15(1546)年、播磨国の姫路で小寺氏の家老・黒田職隆の嫡男として誕生。官兵衛は通称で、幼名は万吉、のちに孝高と名乗る。播磨平野の小豪族という出自ながら、幼い頃から頭脳明晰で知られた。
永禄10(1567)年、22歳で家督を継ぎ姫路城代となる。織田信長と毛利輝元が勢力を拡大する中、播磨国は両者に挟まれた難しい立場に置かれていた。
そこで官兵衛は天正3(1575)年、主君の小寺政職に織田方に付くよう進言。秀吉の取次により岐阜城で信長に謁見すると、名刀「圧し切長谷部(へしきりはせべ)」を下賜されたという。
このあたりの物語は『豊臣兄弟!』では描かれることはなかったが、2014年放送のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』では、皆が毛利方に付こうとするなかで、官兵衛だけが信長に付くことを主張。主君の小寺政職を必死に説得する一幕や、信長と拝謁して認められるシーンは、物語の肝として描かれている。
大河ドラマ『軍師官兵衛』は現在(2026年8月2日時点)、Netflixで配信中なので、併せて観れば『豊臣兄弟!』の時代背景がより理解できるだろう。
官兵衛は天正5(1577)年、秀吉が播磨に入ると居城・姫路城の本丸を提供。自らも付き従い、竹中半兵衛と共に「両兵衛」と称されて、秀吉の左右の腕として活躍することとなった。このあたりは『豊臣兄弟!』ですでに描かれた通りである。
黒田官兵衛も予見できなかった幽閉事件
その後、「三木城の干殺し」「鳥取城の渇え殺し」「備中高松城の水攻め」など、知略を駆使した戦法で次々と毛利方の城を攻略。秀吉の知恵袋としてその才を発揮している。
主君を転々とした藤堂高虎や、信長から出仕停止を食らった前田利家のような、感情に任せた「やらかし」とは無縁の生涯にみえる官兵衛だが、失敗がなかったわけではない。天正6(1578)年、信長に反旗を翻した荒木村重を思いとどまらせるべく、有岡城に単身乗り込んでいくも、説得は成らず。それどころか、村重に捕らえられてしまい、1年間も土牢に幽閉されることになる。
官兵衛の寝返りを疑った信長は、官兵衛の嫡男・松寿丸(黒田長政)の処刑を命じたが、竹中半兵衛が密かに匿って救ったとも言われている。
救出された官兵衛は、足に障害を負い全身疥癬(かいせん)だらけになっていたという。その痛々しい姿が却って凄みを与え人々の信頼を集めたとも言われる。


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