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大河ドラマ「豊臣兄弟!」もいよいよ後半戦!豊臣政権で飛躍する《キーパーソン3人》を解説する

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大河ドラマ『豊臣兄弟!』(写真:NHK公式サイト)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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信長の親衛隊である「赤母衣衆(あかほろしゅう)」に所属し、織田信長の家臣である篠原主計(かずえ)の娘・まつと結婚。すぐに長女をもうけるなど、まさに順風満帆だったが、永禄2(1559)年にある事件を起こす。

信長に仕える拾阿弥(じゅうあみ)の態度が目に余ったらしく、斬り殺してしまったのだ。死罪にされてもおかしくなかったが、柴田勝家や森可成らのとりなしがあり、出仕停止処分が下されることになった。

信長から再び信頼を得るために、利家は永禄3(1560)年の「桶狭間の戦い」に勝手に参戦し、武功を上げている。さらに永禄4(1561)年に美濃へ侵攻した「森部の戦い」でも活躍し、復帰が許されることになった。

天正3(1575)年、越前の一向一揆の平定後は、柴田勝家の与力として佐々成政、不破光治とともに府中三人衆の一員となり、北陸方面の統治に当たった。天正9(1581)年、信長から能登一国23万石を与えられ、小丸山城を築いて大名となる。

秀吉か柴田勝家か…利家の心変わり

そんな勝家との関係から「本能寺の変」の後に起きた「賤ヶ岳の戦い」では、迷った挙句に秀吉ではなく、勝家のほうに味方するも、戦闘中に脱退。その後、秀吉に降伏して、加賀二郡を加増されて金沢城に入っている。ドラマ『豊臣兄弟!』では、利家の心変わりがどのように描かれるかに注目したい。

天正12(1584)年の「小牧・長久手の戦い」においても、勇猛な利家らしい活躍を見せた。徳川家康に呼応した佐々成政が能登に侵攻した「末森城の戦い」で、わずか2500の兵で1万5000の成政軍を背後から急襲。見事に撃退した。

その後、利家は秀吉が最も信頼する大名の一人として、豊臣政権を支える柱石の役割を担っていくことになる。

秀長との関わりについては、直接同じ戦場で轡(くつわ)を並べたという記録は多くない。というのも、秀長が紀伊・四国・九州方面の平定を任される南方担当だったのに対し、利家は北陸の押さえとして、畿内の外縁を固める役割を担っていたからだ。

それぞれ別の持ち場を任されていた二人が、秀吉政権を東西南北から支える柱石として、いかにして秀吉を支えたのか。『豊臣兄弟!』の後半パートでは、秀長に負けじと、前田利家が存在感を発揮することだろう。

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