もちろん、法律的には政治活動を始める際に配偶者の許可が必要なわけではない。また、夫婦の間でどこまで仕事について相談するかは、それぞれの家庭の問題でもある。この一件だけを理由に、ひろゆきが政治に携わる資格はないと断じるのは行き過ぎである。
しかし、政治団体の共同代表就任は、単なるテレビ出演やYouTube番組への参加とは違う。本人だけでなく、家族の生活や安全、社会的な立場にも影響を及ぼしかねない大きな決断である。それを最も身近な人物に十分説明しないまま進めたのだとすれば、組織の責任者としての情報共有や意思決定に不安が残る。
しかも、この新党は少子化や子育て政策を重要なテーマに掲げようとしている。家庭の事情を政治的に利用する必要はないが、家族や生活者の現実を重視すると訴える組織が、発足の段階で自らの家族との対話不足を指摘されたのは致命的である。ゆか氏が「そりゃ少子化も止まらないわ」と皮肉ったのも、政策理念と身近な行動との食い違いを突いたものだろう。
この問題は、ひろゆきという人物の長所と短所を改めて浮かび上がらせている。彼は物事を深刻に捉えすぎず、とりあえず面白そうなことを始める軽やかさを持っている。その身軽さが、「2ちゃんねる」をはじめとする既存の枠組みに収まらない事業や言論活動を生み出してきた。
だが、政治において、その軽やかさは無責任さと紙一重である。政治団体を作り、候補者を擁立するということは、他人の人生や地域住民の暮らしを背負うことである。本人が飽きたり、興味を失ったりしたからといって、簡単に撤退できるものではない。家族への説明さえ十分に行われていなかったという妻の訴えは、ひろゆきが政治をどこまで継続的な責任として引き受ける覚悟を持っているのか、という疑問につながる。
政治の景色を変える可能性も
それでも、この新党が政治に与える意味を過小評価すべきではない。2人がすぐに国政を動かすようになるとは考えにくいが、既成政党が独占してきた候補者選びの方法を変える可能性はある。知名度や議員秘書の経験、政党内の人脈を持たない人間でも、ネットを通じて応募し、政策や能力を公開の場で評価され、地方政治に参加できる仕組みが作られるなら、それ自体が1つの政治改革となる。
発足直後に起きた妻からの異議申し立ては、単なる夫婦間の行き違いではなく、ひろゆきの政界進出への本気度が問われている最初の試験である。「ひろゆき&いずみ新党(仮)」が一時的な話題で終わるのか、それともネット時代の新たな政治参加モデルになるのか。その答えは、2人が自分たちの強すぎる個性を制御し、身近な相手への説明から始まる地道な合意形成を実践できるかどうかにかかっているのではないか。

