出荷価格については、毎年、家族3人で話し合って決めている。物価高で生産コストが上昇しているため、値上げしなければ経営が成り立たない。数年前、勇気を出して値上げしてみると、取引先のシェフたちから、意外な言葉をかけられた。
「こんな(安い)値段でいいんですか。この倍払っても、こういうのは市場に出てきませんよ」
「料理人は、味は作れても、香りは作れない。農家さんが潤ってくれないと僕らも困るんです」
値上げを反対されるどころか、後押しされたのだ。
「今は自信を持って値上げしています」と敏雄さん。
といっても、それほど高い値段をつけているわけではない。はるみは1個200円、温州みかんは1個100円程度。お店の外には価格の一覧表があり、個人客も同じ値段で購入できる。取材に伺った7月、筆者は小田原市内のスーパーに出かけ、柑橘の値段を調べてみた。柑橘が少ない時期ではあるが、アメリカ産のバレンシアオレンジが1個172円、南アフリカ産のグレープフルーツが1個215円で売られていた。いずれも税込みの値段だ。
輸入品との単純比較はできないが、一流店が名指しで求める柑橘としては、驚くほど良心的な価格といえる。
40年で初めての「まさか」
就農当時、無名の産地と一括りにされ、悔しい思いをしていた敏雄さん。自分の「作品」を認めてくれる料理人たちと出会い、取引店は150を超えた。敏雄さんの柑橘を心待ちにする声も各地から届くようになった。順調だった。
しかし、想定外のことが起こる。
2026年2月8日、神奈川県小田原市に大雪が降ったのだ。積雪は約20センチ。その日の深夜、小田原の気温はマイナス8.3℃まで下がった。いつもは温暖な敏雄さんの畑もマイナス7.9℃を記録。収穫を控えたレモンは全滅し、そのほかすべての柑橘が深刻なダメージを受けた。柑橘は、マイナス3℃の環境に3時間さらされると果肉の水分が失われてしまう。ありえない事態だった。
「もう冷凍保存状態。全然ダメ。こんなことは40年やってきて、はじめて」
八木下農園はこの危機にどう立ち向かったのだろうか。後編へ続く。

