腕の振り方、足の上がり具合、隊列の美しさが、配属将校による成績評価に直結していました。行進が立派な学校は「指導が徹底されている優良校」、乱れている学校は「愛国心や規律がたるんでいる」とみなされ、社会的な評価にも直結していたのです。
各種のスポーツ大会もそうした軍事教練と国威発揚の延長線上にありました。当然ながら、甲子園大会の入場行進も軍楽隊の行進曲のもとでの軍隊式スタイルでした。
そして時代が進み日本は戦争に突入しました。戦況が悪化した中で、1943年(昭和18年)10月21日に明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会がおこなわれました。そこでおこなわれた学徒出陣兵の行進も、まさに積み上げてきた軍事教練の延長線上にあった行進でした。ネットでその映像を見れば、現在の高校野球の入場行進の原型がそこにあることがわかります。
「立派な行進=指導力」という価値観は、戦後も学校の中で残り続けました。それは当時の高度経済成長期のニーズに合っていたからです。この時期は、会社の規律をよく守り、上からの指示に従って一糸乱れぬ団結で仕事をする、愛社精神に満ちた労働者や企業戦士が求められました。「個」の消去と「全体」への従属という点では、戦前戦中と大して変わっておらず、国が会社に変わっただけのことでした。
私が小学校の先生になりたての頃も、軍隊式行進がごく普通におこなわれていました。私が1989年(昭和64年・平成元年)に勤務していた学校でも、運動会や朝礼の入退場が軍隊式行進でした。腕の振り方、足の上がり具合、縦横がそろった隊列行進の美しさが先生の指導力への評価に直結していて、授業時間や休み時間に行進の練習をする先生もいました。
個人の主体性・創造性が求められる
でも、その後こうした価値観は薄れてきました。それは、日本社会における価値観の変化と軌を一にしています。企業においても、上からの指示によく従う画一的な集団よりも個人の主体性や創造性が求められるようになりました。
教育界においても、管理教育への批判が巻き起こり、個性と多様性の尊重、個別最適な学びなどが重視されるようになりました。子どもの権利条約批准によって、子どもの人権に対する意識も高まりました。体育授業の目的も、軍事教練の名残である「体を鍛え上げる」ことから「生涯にわたって運動に親しむ」ことへシフトされました。

