だから案外、やることは多い。けれど、ひとつずつ終わりが目に見える作業でもあった。薪を割ると薪が少しずつ積まれ、水をくむとタンクが満たされていく。一日の終わりには、今日はこれをしたから疲れたんだな、と自分でもよくわかる。そんなわかりやすさが、なんだか心地よかった。
コテージでいう「何もしない」は、本当に何の活動もしないことではないのかもしれない。予定や成果で一日を埋めず、目の前の暮らしに必要なことを、一つずつする。そうしているうちに、滞在中は自然とスマホを見る時間も減っていた。
「ただそこにいる」のは難しい
以前、ハンティングが趣味のフィンランド人から、こんな話を聞いた。
「森にいるのは好きだけど、ただ森にいることは案外難しい。だから、釣りやハンティングをするんだと思う。それは自分には予想もできない、どうにもできないものの中に身を置くことで、僕はそういう時間が好きなのかもしれないね」
森にいることのプロのような人から、「ただ森にいるのは難しい」と聞くのは意外だった。けれどコテージで過ごすうちに、その意味が少しわかった気がした。

