1990年代前半の不良債権問題の象徴だった住宅金融専門会社(住専)を今回から取り上げる。前号までの兵庫銀行と同じく、大蔵省はあらゆる手を使って延命を図り、処理を先送りしようとした。だが結果的に深手を負い、金融史に残る失策となった。
住専とは、国民のマイホーム願望に応えるため70年代初頭に民間金融界が共同出資で設立した、住宅資金の供給会社である。日本住宅金融(日住金)、第一住宅金融、日本ハウジングローン、住宅ローンサービス、地銀生保住宅ローン、総合住金と住総の7社と、ほかに農林系統金融機関が設立した協同住宅ローンがあった。
当初、大蔵省は住宅金融育成という目標を掲げ、住専をノンバンクでは異例の「直轄会社」に指定し、金融機関並みの扱いをした。さらに経営陣に設立母体の金融機関と同省から人材を送り込んだ。
しかし、発足から半年後、うまみのある住宅ローンに銀行が次々と参入し、環境は一変する。銀行の攻勢で苦しくなった住専各社は、やがて不動産融資に活路を求め、折からのバブルに乗って資産を拡大させていく。その結果、銀行よりも一足早くバブル崩壊のダメージを被ることになった。
バブル絶頂期の89年から大蔵省銀行局長を務めた土田正顕は、当時の住専について「ノンバンク一般が悪いように住専も悪いに決まっていると思ってはいました」とオーラルヒストリーで語っている。ただ、直轄会社とはいえ、免許業種ではないだけに直接的な“手出し”は差し控えていた。
撃退された企画官 最後は銀行局長が出馬
この記事は有料会員限定です
残り 1936文字


