制作者・演者とコンテンツの関係をめぐっては、よく「作品に罪はない」とする考え方がある。筆者個人としても「作品と関係者は切り離して考えるべきだ」というスタンスだ。ただし、この論が成立するには、作品と人物を“切り離せる”ことが前提となる。佐藤さん・橋本さんの件であれば、極端な話、演者が交代しても作品そのものは残る。
しかし福澤氏は原作・演出・プロデュースを一手に担っており、VIVANTから福澤氏だけを引き算することは、そもそもできないのだ。
加えて、見る側への配慮の問題もある。福澤氏が今回、どのようなパワハラに該当する言動を行ったのか、正確な内容はわからない。ただ、職場で上司や先輩から威圧的に接された経験のある人にとっては、想像するだけでつらくなる可能性はある。
そう考えると、“作品に罪はない論”にも、どこかに限界が来てしまう。もちろん、だからといって「制作を中止しろ」「降板させろ」と求めるわけではないが、本来存在しなかった“ノイズ”を感じさせる点において、不利益をもたらすのは間違いない。
とくにVIVANTには、拷問や処刑のシーンも存在する。今回のパワハラ問題が、それらの暴力表現とひも付いてしまうと、純粋にドラマを楽しめなくなってしまう視聴者も少なくないだろう。そうした意味でも、非常にもったいないと感じる。
業界の常識は、一般の非常識
テレビの制作現場は、よく「縦社会」だと表現される。それだけコンテンツに情熱を注ぎ込んでいるとも言えるが、その業界での常識が、一般的には非常識に当たるケースは少なくない。働き方改革も進むなか、60代の福澤氏の“制作論”と、若手世代のそれにズレが生じている可能性は考えられる。
今回の事案は、局としてパワハラ認定されるものだった。あらゆる分野で「権力勾配」が問題視される昨今、そうした体質が日常的だった業界は、なおのこと意識改革に取り組まなければならない。

