その限定された商圏において、日本窒素肥料の消費組合として1920(大正9)年に発足し、のちに生協となった水光社が圧倒的な強さを誇っていた。市民の約半数は水光社を利用しており、水光社と地元商店街の対立が鮮明になっていた。
しかし1965(昭和40)年に国道3号の改良工事が完成し、モータリゼーションの進展や郊外大型店の出店により近隣市との往来が増えていくと、水俣市の商圏に変化が表れ始める。
1970(昭和45)〜1972(昭和47)年にかけて、水俣市の商圏が狭くなっていることが明らかにされた。(『水俣市広域商業診断報告書(勧告編)昭和50年』)
1983(昭和58)年時点でも、「近隣周辺地域の商業集積の拡大、その商業力のレベルアップによる水俣市商圏人口の減少など、水俣市小売業をとりまく環境は非常に厳しい状況にあった」と指摘されている。(『産業経営研究』1983年3月)
さらに時代が進むにつれ、熊本県の八代市や鹿児島県の出水市との都市間競争が加速していく。
2007(平成19)年度の『熊本県消費動向調査報告書』では、水俣市において「地元購買率が低下」し、「この要因は、八代市の大型SCへの流出が増加したためであるが、鹿児島県出水市への流出も若干増加している」と報告されている。
八代市には2004(平成16)年11月に「イオン八代ショッピングセンター」、翌2005(平成17)年6月に「ゆめタウン八代」がオープンした。出水市にも郊外大型店が進出していた。水俣市では車に乗り、八代市や出水市へ出かける買い物客が増えていたのだ。
しかし現在、その八代市にある「イオン八代ショッピングセンター」も廃墟モール化が進んでいる。2000年代に、対水俣市で都市間競争に勝ったと言える八代市のモールはなぜ苦戦しているのだろうか。
より大型のゆめタウンに太刀打ちできず
「イオン八代ショッピングセンター」は当初、核店舗のジャスコと75の専門店からなるモールとしてオープンした。2020(令和2)年にスーパービバホームが出店し、現在は1階の約半分をスーパービバホームが占め、もう半分にイオン直営売り場とテナントが入っている。空き区画は1つのみで、平日でも買い物客の姿が見られる。

