2020年12月、当時48歳だったチューヤンはXをスタート。『電波少年』の旅と同じ290日間、毎日投稿をし、コメントにもできるだけ返信をしていった。「自分を成長させてくれた日本と、もう一度つながりたい」という必死の想いが、人とつながる外の世界へとチューヤンを連れ戻した。
「Xで短い言葉で自分の言いたいことを話すのはけっこうな訓練ですよ。おかげさまで日本語がうまくなったけど」
かつて「中途半端に」上達したことが足かせとなった日本語は、今では日本とのつながりを再確認させ元気にしてくれる、チューヤンのエネルギーの源となっている。
「日本語で話すと幸せな気分になるよ。だって、広東語のように(器用に嫌みを言えるレベルではないから) 意地悪は言えないですよ。だから、正直で素直な自分になれます」
日本のアニメや文化がデザインに生きる
香港の広告代理店でクリエイティブ・ディレクターを務めていた頃は、睡眠時間がわずか2時間という猛烈な日々を数年間送った。その過酷な環境の中で、CM撮影やCDジャケット、広告デザインといった分野で、着実にキャリアを築いていった。
アジア最大級の展示会場のプロモーションを手がけ、アメリカの権威ある広告賞も受賞している。日本で培った独自の視点や発想が、チューヤンの武器となっていった。
「日本の文化やデザインを見てきたおかげで、僕のスタイルは、日本の影響を受けています。香港のデザイナーだと思いつかないようなアイデアが出てきます」
彼が見せてくれた作品には、傘の骨を何重にも重ねた衣装や、釣具やプラスチックの留め具など、廃棄されるような日常品をアートに転換したものが並ぶ。日用品をクリエイティブに生まれ変わらせる彼の手法には、日本のアニメやデザインから学んだ「シンプルな中にインパクトがある」というこだわりが受け継がれている。

