しかし具体的な改善内容は自治体ごとの取り組みに委ねられることになっているため、地域により、教員の働き方にバラツキが生じることも指摘されている。また働き方改革や残業代・手当をいくらか増やすということだけでは教員不足を改善できない可能性もあろう。
現代は「サービス業」と言われることもある教員。かつてはもっと尊敬される職業だったのでは、と思う読者もいるかもしれない。しかし、歴史を振り返るとそれはただのイメージにすぎないということがわかる。
名ばかりの「聖職」と餓死に追い込まれた教員の窮状
明治時代では、学校の教員は「忠君愛国の臣民」を育成するべく、高潔な人柄と高い職業倫理が要求された。教職は「聖職」との教員観が濃厚であった時代、教員は大いに尊敬され、さぞかし高額の給与を支給されていたと思うかもしれないが、現実はそうではなかった。
教員の身分は「待遇官吏」だった。具体的には「国家に対し忠実かつ無定量の勤務に服すべき公法上の義務を負うが、国庫から俸給を受けない等の理由により正式に高等官または判任官とされないが、その待遇を与えられる者」とされた。
待遇はそれほどいいものではなかった。教員は政府にとっては「行政機関の末端」であり、上意に従って忠実に働く者だったという見解も示されている。日清戦争や日露戦争などで日本の経済界は活性化したが、物価の上昇によって教員の給与は相対的に低下する。
弁護士や判事、医者などになると20〜80円(当時の物価水準から単純換算すると約30万〜120万円)ほどの月収があるのに、師範学校卒の教員は約9〜12円(13.5万〜18万円)ほどの月収だった。9〜12円ほどの月収は「巡査」並みと言われるが、巡査には制服・外套・靴などを現物(または一部は金銭)で支給する「給与品」の制度があった。教員にはそれもなかった。

