今のスタイルに行きつくまで、タテヅカ2000の人生にはまさに紆余曲折あった。少し駆け足になるが、振り返る。タテヅカ2000はプロのミュージシャンになるべく上京したが、地元の富山に帰郷。再び上京ということをこれまで4度繰り返してきた。
「高校卒業後にプロのミュージシャンになりたくて地元、入善町から上京しました。その後、20代前半のころにチャンスがあってバンドでメジャー契約が決まったんです。そのこれからって時に病気になり富山に戻ったんです。悔しかったですね」(タテヅカ2000)
回復したが、当時のバンドメンバーがそれぞれ音楽シーンで活躍しているのを見るのがたまらなく悔しかった。それでも音楽を諦めることはなかった。
音楽で壊した心と音楽で取り戻した心
当時、バンドマンとして上京したが、DJも同時に始めていた。
「お金もないのにDJやりたくてターンテーブルを3年ローンで購入したんです。今でもよく覚えてます。誰かに指示されるのが嫌で他の人のプレイを見て学んで練習してきました」
ライブハウスやクラブのバーカウンタースタッフとして働き、DJもこなす。週末は自身のバンドでライブに出演。昼夜もわからず必死に動き続けた。人気も勢いもあり、はたから見れば順調だった。
だが、そんな生活は着実にタテヅカ2000の心と体をむしばんでいた。
「振り返ればあの時、挫折した経験が今に活きてますね。自分も病気をしていろいろ考えて、それでも音楽で笑顔になってまたやろうと続けてきました。だから(福祉施設の)子どもたちが喜んでくれたことに感動して、『これをもっと続けてみよう』と思ったんです」
そこからは早かった。
DJ文化が根付いていない場所で自分たちは何ができるかを考えた。場所がなければ自ら作ればいい。イベント制作で培った夫妻の企画力でどんどんPRを続けていった。
そして、普段DJと接したことのない人たち、場所でこそ自分たちの存在が活きてくることを見つけ出したのだ。
気がつけば富山県の行政はもちろん、高校などの教育機関にまで届き、タテヅカ夫妻の新たな波が生まれていた。

