2つ目の理由としては、「場の切り替えの誤差」ということもある。表示規則は場面ごとに使い分けるものだが、普段の緩やかなやり取りの調子が、深刻な謝罪会見という場への切り替えの中でうまく抜け切らなかった、という可能性である。
最後に考えられるのは、「意図的な逸脱」。あえて規則から外れた表情を見せることで、「動じていない」という強さを演出しようとする、戦略的なものだ。
ただ重要なのは、山本氏にこの中のどれが起こっていたかは、映像を見ただけでは判別できないという点である。表情の逸脱という「現象」は観察できても、それが意図的だったか無意識だったかという「内心」までは、外部からは確認しようがない。
「深刻な場での笑い」が好意的に受け取られることもある
ただし、「深刻な場での笑み」がすべて否定的に受け取られるわけではない。表示規則という枠組みに立てば、カギになるのは「笑いの有無」そのものではなく、「表出のタイミングと、何に対して向けられた表情か」である。
例えば、危機的な状況の説明を一通り終え、今後の対応や見通しを語る段階になって、抑えた、ごく短い微笑みを見せる、という場面を想像してみてほしい。これは多くの場合、「開き直り」ではなく、「落ち着き」や「前を向く意志」として好意的に受け取られやすい。

