1つは前述した通り「深刻な場での笑い」という逸脱、もう1つは「自分を追及している相手に対して笑いを向ける」という、対人関係上の逸脱である。
表情研究の分野では、「笑い」という表出は、それを向けられた相手の感情や態度に働きかけ、自分に対してより好意的な姿勢を引き出すための、対人的な機能を持つとされている(※3)。
ただし、この働きかけが常に好意的に働くとは限らない。同じ笑いという表出でも、その場にいる相手と気持ちを分かち合おうとする親和的な文脈で向けられるか、相手を見下す・からかうといった対抗的な文脈で向けられるかによって、受け手が読み取る意味はまったく異なるものになる。
今回のケースで拡散した場面は、後者、つまり追及してくる相手に対する対抗的な笑いとして読み取られやすい構図だった。これが「相手を軽んじている」「動じていない」という印象と結びつき、不気味さや怖さの正体の一端になっていると考えられる。
表示規則という概念そのものは、あくまで「表情がその場にふさわしいかどうか」を判断する枠組みであり、山本氏の内心がどうであったかを直接示すものではない。しかし、視聴者が抱く印象は、本人の内心とは関係なく、表出された表情が場面にどれだけ適合しているかによって形作られる。ここに、今回の世間の反応の科学的な根拠がある。
山本太郎は、なぜ「笑った」のか?
ではなぜ、人間に備わっているとされる「表示規則」を山本氏は逸脱してしまったのか。
これには3つの理由があるとされている。
1つ目に考えられるのは、「無意識の感情の”漏れ”(リーケージ)」だ。緊張やストレスが強い状況では、意識的に整えようとしている表情の下から、本人も制御しきれていない感情が漏れ出ることがある。意図的な逸脱というより、制御の”失敗”に近い現象だ(※2)。

