だがこれは、河原の湯の一面に過ぎない。
この施設の本来の姿は、地元の人々の日常の入浴場だ。この地域は現在でも自宅に風呂を持たない家が多く、共同浴場がその役割を担ってきた。コロナ禍に「共同浴場に行けない」という事態を経験し、ここ数年でシャワーを設置した家も増えたが、今でも湯船のない家は珍しくない。だから夕方になると、ここに来る。
午後3時に観光客向けの営業が終わると掃除が始まり、夕方4時頃からは地元の人たちが静かに入りに来る。河原の湯を管理・運営するのは地域住民による組合で、組合員は全員鍵を持ちオートロックで自由に出入りできる。
実は四万温泉のこのエリアには、河原の湯を含めて3つの共同浴場が隣接している。それぞれ異なる組合が管理しており、組合員は自分のエリアの浴場に通う。
「2日ほど来ない人がいると、家に様子を見に行ったりするんですよ」と、四万温泉協会事務局長の宮﨑博行さんは話す。共同浴場は入浴の場であると同時に、コミュニティの役割も果たしているようだ。
川と共存するために、石を纏った
この建物がコンクリートを基礎とした石造りになっているのには、理由がある。川のすぐそばという立地で、水害と戦い続けてきたからだ。
河原の湯は2つの川——奥四万湖から流れる四万川と、その支流である新湯(あらゆ)川の合流地点に建っている。
ダムができる前は台風のたびに水没したが、浴槽の中をイワナが泳ぐような状態になっても、上流のため水の引きが早く、午後2〜3時頃には水が引く。そのまま清掃をして、夕方にはいつも通り組合員が入浴しに来る――そういうことが繰り返されてきた。
最初期は木造というより「あばら家」のような掘っ立て小屋だった。それが台風で流され、組合の代表たちがセメントで作り直した。その後、93年(平成5年)頃、公園整備事業の補助金を使って現在の石張りに改修された。
それにしてもなぜ、川のすぐそば、しかも低地に建てなければならなかったのか。それは源泉が近くの低い位置にあり、自然流下でポンプなしに湯船へお湯が届く構造になっているためだ。

