28歳から、家庭教師で生計を立てつつ本格的に小説を書き始め、35歳で1作目を完成させた宮本さんは、まず講談社「群像新人文学賞」に、少し書き換えて半年後に新潮社「新潮新人賞」に送りましたが、どちらも1次選考は通ったものの、2次選考で落選します。
「初めて書いて絶対に当選すると思っていたので、信じられないという感じでした。でも、挫けずに書こうと思って、250枚ほどの原稿を書いて「群像新人文学賞」や「新潮新人賞」、「文學界新人賞」などにずっと送っていました」
芽は出ないが「50歳までは頑張ろう」
恩師・石山修武教授に、31歳の頃に原稿の途中段階を見てもらったところ「短いし、新しいところがあるとも思えない。作家で食っていくのがどんなに厳しいことであるかももう少しわかった方がいい」と厳しく諭されました。でも帰り際に「50歳まで続けたら認めてやる」と声をかけてもらいました。
その言葉もあって「50歳までは頑張ろう」と決めて書き続けた宮本さんは、45歳で趣味のサルサダンスを通じて出会った女性と結婚し、2人の子どもにも恵まれながら、小説を書き続けました。
奇しくも石山氏から言われた50歳を過ぎた頃、知人に石山氏の個展に誘われたことがきっかけで、20年ぶりに恩師に再会します。
「『まだ書いています』と伝えると石山さんは『ああそうか』と返してくださいました。その後、石山氏は筆で書いたハガキを私に送ってくださったのですが、『早く本を出しなさい、心待ちにしています』と応援していただいたんです」
その一言が、宮本さんの心を再び動かします。

